さまざまな時代を歩んだマッチラベル

マッチの世界
マッチの歴史昭和初期のマッチラベル 大正〜昭和(戦前)現在のマッチ
さまざまな時代を歩んだマッチラベル
国産化されてからは、たちまち花形輸出品となったマッチ。その商取引のカギとなったのが、マッチラベルのデザインだったのです。国産が始まった当初こそ、一度刷りでやや華やかさにかけていましたが、1897年ごろからは2色刷りや多色刷りも誕生。デザインも海外の模倣から脱皮し、輸出先のニーズに応えた独創的なものや世情を反映したもの、日本の伝統文化を取り入れたものなど、バラエティに富んだマッチラベルが世界市場をにぎわせました。

やがて、デパートやフルーツパーラー、喫茶店、カフェ、旅館、ホテル、そして企業のマッチなど、宣伝つきのマッチが続々登場。限られた四角のスペースの中で趣向をこらしたデザインにキャッチコピーが踊り、広告媒体としての利用が確立されていったのです。

 
明治初期のマッチラベル

輸出先のニーズに合わせて制作されたマッチラベル。インドに輸出したマッチは、どことなくインドをイメージさせるイラストが描かれています。
 
 
スウェーデン製マッチ
外国製品模倣マッチ
マッチが国産化された当初、スウェーデンやアメリカ、イギリスなどのマッチラベルを模倣。日本語と英語がミックスされたマッチラベルも多く見られました。
   
殖産興業・富国強兵など、近代国家建設を進めていた当時の世情を反映したマッチラベル。
日の出や軍旗、軍人像などが描かれました。
 
 
明治維新後に伝えられた文明の利器が、
マッチラベルにも多く描かれました。