カルメンが巻いたシガー

カルメンの舞台となったセビリアのたばこ工場は、
実際にあった「王立たばこ工場」がモデルとなっています。
“世界一のたばこ工場”と称された工場についてみてみましょう。
カルメンに登場する“シガー”と“パペリート” たばこと縁が深い情熱の国“スペイン” カルメンの舞台となった「王立たばこ工場」 TOP


“セビリア王立たばこ工場”
  ◆ たばこ工場ができるまで
  アメリカ大陸との交易品を運ぶ船が出入りしたセビリア港。1600年代初頭に同地に葉たばこが集まったことから、たばこを加工する工房が数多くありました。これらの工房の効率を上げるため1つにまとめることになり、1620年に公的な工場「サン・ペドロ工場」が誕生しました。そして、たばこの売り上げから多くの税収を得られることから、1636年に専売制が導入。この工場はより堅固な加工工場として改築されていきました。
  その後、たばこの需要は増え続け、各地にたばこ工場が作られますが、それでもたばこの生産は追いつかず、セビリアに大規模なたばこ工場の建設案が浮上。1728年に着工され、42年の歳月を費やし、1770年に完成したのが「王立たばこ工場」です。
  ◆ 世界最大級の規模
  「王立たばこ工場」の特徴は、あらゆる業務工程が1つの建物の中でまかなえたこと。つまり、たばこの製造が集中して行えるように設計・施工されました。工場には作業場だけでなく、礼拝堂や牢屋までもが備えられ、防護のために堀や防壁が巡らされていました。
  工場ではドン・ホセのような兵士が警備にあたり、カルメンのような女性たちが、シガーやシガレットを巻く職人として働いていました。カルメンの時代である1830年頃は、労働者の数が4,000人を超え、まさに世界最大級のたばこ工場として稼動していたのです。
◆ 女性の社会進出を担ったシガー作り
  19世紀に入り、嗅ぎたばこからシガーやシガレットへと嗜好が変わると、工場の労働力にも変化がおこります。女性労働者の数が増えていったのです。これは、嗅ぎたばこの製造が機械操作や力仕事だったことに対して、シガーとシガレットの製造には、熟練した技術と忍耐力を求められる手作業が必要だったことによります。
  18世紀末、王立たばこ工場では男性の職人を使ってシガーの生産を行っていました。しかし彼らが作るシガーは、女性が作るものよりも質が劣っていました。これは当時の賃金は歩合制であり、急いで仕事を行う男性たちが、たくさんの量の粗雑な商品を作ったことに起因します。
  その点、女性は仕事が丁寧で、雑に作ることがなく、従順に作業に徹したといわれます。また、この頃は、女性が働ける場が少なかっただけに、女性の工員たちは、たばこ工場の職をないがしろにすることがなかったのです。
  カルメンが働いていた頃の王立たばこ工場の労働者のうち、女性労働者の数は半数を占めていたとか。女性の社会進出も、19世紀の王立たばこ工場は担っていたのです。
◆ 現在の王立たばこ工場
  1770年に完成し、操業がはじまった王立たばこ工場は、20世紀半ばにいたるまでの約200年間、実際に“世界最大のたばこ工場”として稼動を続けました。現在は、セビリア大学の法学部として建物が利用され、各所で多くのたばこ工場の名残がみられます
出典:たばこ総合研究センター訳『タバカレラ・スペインたばこ専売史 1636-1998』(山愛書院、2005)
右は、正門入口に掲げられたレリーフ。“Fabrica Real de Tabacos(=王立たばこ工場)”の字が読み取れる。
これがセビリアの王立たばこ工場だ!
工場の中庭。 中庭からみた工場棟。 機械室跡。
監督官室跡。 カルメンにも登場する、工場内の牢屋。 周囲から見たたばこ工場の建物。
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