其の十三 水茶屋で世の人をたばこにし

イラスト
たばこの川柳
「水 茶屋」とわざわざ「水」の字を付けるのは、茶の葉を売る「葉茶屋」と区別するためである。水茶屋は神社仏閣の門前などに、よしず張りの店を出し、床几(しょうぎ)の上に茶道具一式を置いて、安い茶を飲ませた。もちろん、たばこ盆も置かれていた。だんごや餅を売り物にする店もあり、客寄せに美人を置く店もあった。今日の喫茶店に相当する。

江戸時代に江戸や京・大坂などに登場した水茶屋は、後に酒食を供し、「料理茶屋」となったり「色茶屋」となったりして、遊興的色彩を強めていくところも多かった。料理茶屋の中から貸席専業の「待合茶屋」や男女に逢瀬の場を提供する「出合茶屋」が現れた。また、歌舞伎劇場には「芝居茶屋」が、相撲小屋には「相撲茶屋」が付属して、案内や休息の場に使われた。

このように一口に茶屋といっても、その性格はさまざまであったが、庶民が気軽に立ち寄ることができたのは、何といっても水茶屋である。そこでは茶をすすり、たばこを一服つけながら、歩き疲れた足を休め、給仕女を相手に、あるいは客同士が、世間話や噂話にうち興じた。「茶にする」と言えば茶化すことであるが、「たばこにする」と言ったところが、この句の面白いところ。恐らく「煙に巻く」というような意味合いが含まれているに違いない。

  水茶屋では、身分の上下にかかわらず、およそ“世の人”の動静にかかわることであれば、話題にのぼり揶揄されたことだろう。あからさまな批判が憚られる(はばかられる)場合でも、茶化したり煙に巻いたりすることで、庶民のうっぷんは晴らされた。それは心の衛生にも役立ったはず。とかく、たばこ・茶・酒などの嗜好品を友にすることで、人びとのコミュニケーションは生気を帯びる。今も昔に変わらぬ愉しみのひとときである。
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