見合い」とは読んで字のごとく、男女が互いに相手を観察し合う儀式である。といっても、正面切ってじろじろ見つめるのは、不躾(ぶしつけ)であり不作法である。徒(いたずら)に目を伏せているばかりでは、ついに相手を一目も見ずに終わることにもなりかねない。そこはそれ、見ないふりをして見るべきところは見るというのが望ましいのだが、世慣れていない当人同士には、なかなかに難しい芸当ではある。
そんな折は、江戸の人びとはたばこをうまい具合に利用した。たばこを吹かし、立ちのぼる煙を眺めるふりをしながら、その隙間から相手をちらりと観察する。その時、相手が目を伏せていれば、かなりゆっくり眺めていられるし、目と目が合えば、にこりと微笑みを交わすこともできる。いずれにしても、たばこの煙が薄膜となって、二人の間を不躾にならぬ程度に隔ててくれるので安心できるのである。
こんな時のたばこの味は、どうでもよい。“吸っているふり”が肝心なのである。“そらたばこ”とは正に言いえて妙。“うわの空のたばこ”を吸いながら、相手にちらりちらりと視線を馳せる。すると、相手も煙幕の向こうから同じような仕種をしている。そんな微笑ましい情景を詠んだ一句である。
煙幕を張るのは「お見合い」に限らない。いろいろな談話の席で、恥ずかしい、気まずい、バツの悪いなど、あまり好ましくない思いをすることがある。そんな思いを相手に知られれば、その場の雰囲気が一層気まずいものになりかねない。そう思った時、愛煙家はつっとたばこに火を付ける。その煙幕は、照れかくしにもなり、バツの悪さを紛らわしてもくれるからである。 |