続 落語とたばこ
引っ越し先の長屋へ、荷物を背負って朝早く出たというのに、夕方遅くなってようやく到着した亭主。後から家を出て、とっくに着いていたかみさんは怒り心頭です。
「こんな夕方暗くなるまで、大きな荷物をしょってさ、どこをほっつき歩いてたんだよ」
話を聞くと、子どもが大勢で相撲をとっているのを見ていて、あたりが暗くなってしまったとか。そこで、ようやく今日が引っ越しということを思い出したものの、肝心の引っ越し先を忘れて、仕方なくもとの家へ引き返すことに。どうやら亭主は筋金入りの粗忽者(そこつもの)のようです。
「で、帰ってみると、道具がひとっつもない。きれいにかたづいてやがる。さみしかったねえ」
一服しているところへ、前の大家が来てびっくり。大家に自分の引っ越し先を教えてもらい、やっとのことで辿り着いたといいます。
げんなりしたかみさんは、今日はもう遅いので、とりあえず壁に箒(ほうき)をかける釘だけ打ってほしいと、
「分かってるね、箒をかける釘だからね、長い釘を打っとくれ、長い釘を」
そう念を押しますが、大工をしている亭主は、釘の大きさまで指図されたことにカッとなって、一番長い、屋根瓦を留めるための「瓦釘」を打ってしまいます。
釘は長屋の薄い壁を突き抜けて隣の部屋へ……。
「しょうがない、お隣りへ行って、よぉく謝るんだよ。落ち着かなきゃだめだよ。落ち着きゃ、お前さんだって一人前なんだから」
かみさんに言われて妙に落ち着き払う亭主。上がった隣の部屋でたばこ盆を出されると、ことさらにゆったりとたばこを吸います。
「で、何かご用でいらしたんですか?」
「いえ、ご用てえほどのことはないんですがね、とにかく落ち着かしていただいてからのことに」
と、煙を吐いてキセルをゆっくり叩き……、さあ、何をしに来たのかすっかり忘れてしまいます。
「つかぬことをお尋ねいたしますが、あそこにいらっしゃるご婦人は、こちらのおかみさんですか?」
訳の分からないことを聞き出して、さらには自分とかみさんののろけ話をはじめる始末。
ようやく用件を思い出して壁を見ると、仏壇にある仏像の上へ釘が……。
「阿弥陀さまの頭の上に……。へえぇ、長い釘を打ちましたなぁ。お宅じゃ、あんなところへ箒をかけますか?」
粗忽とは、そそっかしいとか、おっちょこちょいのこと。今の言葉でいうなら“天然”といったところでしょうか。
『粗忽の釘』のほかにも、八っつぁんが行き倒れを見て、隣に住んでいる熊さんと勘違い。本人も自分の行き倒れと思い込んでしまう『粗忽長屋』
や、堀の内のお祖師様へ行くつもりが、浅草の観音様へ来てしまい、持って来た弁当を食べようとすると、風呂敷包みは腰巻き、中に入っていたのは枕だったという『堀の内』など、古典落語にはお馴染みの粗忽ばなしがいくつもあります。
『粗忽の釘』は江戸時代から演じられてきた古い小咄ですが、近年は警官や自転車がでてきたりと、明治頃の設定で演じられることが多いようです。