「細刻みたばこ」作りの道具たち

TOP 第一章 「細刻みたばこ」作りの始まり 第二章 手刻みから器械による刻みに 第三章 今も続く「細刻みたばこ」作り
第一章「細刻みたばこ」作りの始まり
世界でも珍しい、日本独特の刻みたばこである「細刻みたばこ」。 いつからこの「細刻みたばこ」は作られるようになったのか、 そして、どのようにして刻まれていたのか。 生まれた経緯と初期の製造法について、見ていくことにしましょう。

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細刻みたばこの束。わずか0.1ミリ程度という非常に細い刻みは、世界的に見ても日本にしかない珍しいもの。
日本独自の喫煙文化が生んだ刻みたばこ
 安土桃山時代から江戸時代初めごろ(=16世紀末から17世紀初頭)、南蛮人によるパイプや葉巻の喫煙形態で日本に伝わってきたたばこ。このたばこは、日本では間もなくキセルによる喫煙形態が主流となり、江戸時代初期(=17世紀前半)には各地に広まっていきます。
 キセルに詰めるたばこは、葉たばこを刻んで作る刻みたばこ。この刻みたばこは、時が経つほどにより細い刻みに変化していき、江戸時代後期(=19世紀前半)には髪の毛ほどの太さの「細刻みたばこ」と呼ばれるものになります。これは、より細く刻むことで、日本人好みのマイルドな味わいになることから生まれたといわれています。
手刻み専用の「たばこ包丁」
 たばこが伝わってきた当初、刻みたばこは「たばこ包丁」と呼ばれる専用の刃物を使って、手刻みで葉たばこを刻んで作っていました。使用されたたばこ包丁は、当初は葉たばことともに輸入された舶来品。しかし、江戸時代初期(=17世紀前半)を過ぎ、国内で葉たばこの栽培や喫煙風習が広まるにつれ、各地で国産のたばこ包丁が製造されるようになります。
 また、こうした喫煙風習の広まりにつれ、葉たばこを刻んで売る「刻みたばこ屋」も全国で見られるようになり、より細く刻む技術も磨かれていったのです。
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たばこ包丁。平たく、幅広い独特なデザインが特徴。束ねた葉たばこを細かく刻むのに適しています。下は使用が進み、刃幅が短くなったもの。
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「刻みたばこ屋」の再現ジオラマ。刻みたばこ屋は夫婦で営むところも多く、妻が葉を束ねて巻き、夫が刻んでいたことから、“カカ巻きトト切り”などと呼ばれていました。(「たばこと塩の博物館」に展示)
写真 若い夫婦が刻みたばこ屋を営んでいる絵。宝暦7(1757)年刊の『絵本雪月花』(随時老人南嶺著、西川祐信画)より。
手刻みによる「細刻みたばこ」作りの工程説明はこちら
写真 手刻みに必要となる、たばこ包丁、刻み台、小ぼうき。葉たばこについたほこりやちりを、小ぼうきできれいにし、重ねて巻いた葉を刻み台にのせ、たばこ包丁で細く刻んでいきます。
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  幕府も認めた堺の「たばこ包丁」
 
日本各地で作られていた「たばこ包丁」にも、名産地と呼ばれる場所がありました。それは大阪・堺。16世紀後半から17世紀初めにかけて、自由貿易港だった堺には早くからたばこが伝わり、たばこ包丁も江戸時代初期(=17世紀前半)には製造されていました。この堺のたばこ包丁は、切れ味・耐久性などに優れていたことから、その後宝暦8(1758)年、幕府の専売品に。幕府のお墨付きを得た堺の刃物は、たばこ包丁だけでなく、料理包丁においても高品質のものが作られていきます。そして、現在でも高級刃物の街として知られる土地となったのです。
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堺市に現存しているたばこ包丁。江戸時代末期(=19世紀初期〜中ごろ)に作られたものと考えられています。
たばこ包丁を保存している、創業1805年の老舗刃物製造会社「(株)和泉利器製作所」。雰囲気ある軒先が、堺の歴史を感じさせます。
 
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