かつて日本バレーを世界の頂点に導いた男、
“世界一の名セッター”
猫田勝敏の物語をご紹介しています。
かつて、日本バレーを世界の頂点に導いた男がいた―猫田勝敏。『専売広島(現広島サンダーズ)』に所属した猫田は、セッターとしてオリンピックに4大会連続出場し、金・銀・銅のメダルを手にした。
日本バレーの金メダル獲得の立役者となり、“世界一のセッター”と言われた猫田。彼の残した偉大な足跡とともに、「人間・猫田」の素顔を追う。
1944年、広島県安佐郡安古市町(現広島市)に生まれる。小学生のころよりバレーボールを始め、バレーボールの名門・崇徳高校に入学し、名将・稲葉正文監督の下で本格的にセッターを目指す。1962年に『専売広島(現広島サンダーズ)』に入部し、翌年の1963年に初の全日本入り。
1964年に最年少で『東京オリンピック』に出場し、銅メダルを獲得したのをきっかけに、日本の不動の正セッターとして活躍。
1968年の『メキシコオリンピック』で銀メダル、1972年の『ミュンヘンオリンピック』では念願の金メダルを獲得している。また、個人でも、1969年の「第2回ワールドカップ」で「ベストセッター賞」、1970年の「第7回世界選手権」で「ベスト6賞」、1977 年の「第3回ワールドカップ」で「トス賞」など数々の賞を受賞し、“世界一のセッター”と言われた。
引退後の1980年には、『日本バレーボール協会』より初の「バレーボール栄誉選手賞」を受賞。1983年には学術・芸術上の発明・改良・創作の他、スポーツなどで業績のあった人に贈られる「紫綬褒章」を賜与されている。そして2001年には『国際バレーボール連盟』より「世界バレーボール20世紀の最優秀賞特別賞」を受賞し、この世を去ってからも栄誉ある賞に輝いている。『専売広島』では、『日本リーグ』で準優勝に2回輝き、引退後は監督として采配を振るった。1983年に胃の悪性腫瘍のため、39歳の若さでこの世を去っている。
バレーボールを愛し、バレーボールに生きた世界一の名セッター、猫田勝敏の生涯をたどります。