シガーとともに歩む島国・キューバ
1902年、独立戦争によってスペインの植民地支配から解放されたキューバでしたが、今度は戦争に介入したアメリカによって支配されてしまいます。砂糖などの産業がアメリカ企業によって独占され、国民の不満が募る中、1959年に起こったのが、社会主義の旧ソビエト連邦と手を結んだキューバ革命でした。
チェ・ゲバラ。
(Brigante mandrogno/Wikipedia)
フィデル・カストロ。※左画像
(Miguel Vinas/Prensa Latina via AP/アフロ)
このときに指揮を執ったフィデル・カストロとチェ・ゲバラは、ともにトレードマークといえるほどシガーを嗜む姿が印象的。特にカストロは、彼のボディーガードが持っていたシガーを気に入り、自分専用のブランドとして製造させました。カストロは各国の政府高官やVIPにこのシガーを贈呈し、贈る際には、相手の名前を冠したリングを巻いていたといいます。
ゲバラには、日本人との意外なシガーのエピソードが残されています。1965年、ゲバラのもとを訪れた日本人技術者に対し、100本のシガーを贈っているのです。工業化が進んでいないために、キューバの工業品を贈れないせめてもの替わりに贈呈したといわれ、ゲバラの丁寧な心遣いが表れています。
キューバ革命後、首相に就任したカストロは諸外国の財産を国有化。これに対し、アメリカはキューバとの輸出入を停止しようとしました。あとは大統領のサインを得るだけ……。しかし当時の大統領であるジョン・F・ケネディは、キューバ産のシガーを愛用していました。
当時の報道官、ピエール・サリンジャーの寄稿による有名なエピソードがあります。ケネディはサリンジャーを呼び、尋ねます。「相当数のキューバ・シガーが欲しいんだが……」。サリンジャーが「どのくらいですか?」と問うと、「少なくとも1000本は欲しいね。それも早急に」。翌朝、サリンジャーが1100本を用意したことを聞くと、ケネディは満足して、引き出しにしまっていた通商停止に関する書類にサインをしたといわれています。
なお、革命以前、アメリカはキューバ産シガーの最大輸入国の1つでした。輸出が途絶え大打撃を受けたキューバでは、政府による工場の接収、アメリカの経済制裁などの影響で、多数のシガー職人やブランドがキューバ国外へと流出してしまいます。キューバのシガー業界にどれだけのダメージがあったかは、想像に難くありません。
シガーを嗜む第35代アメリカ大統領のジョン・F・ケネディ。
(Everett Collection/アフロ)
2015年7月、ビッグニュースが世界を駆け巡りました。1961年より断交していたアメリカとキューバが、国交の正常化を果たしたのです。実に54年ぶりのこと。各国の資本がキューバ国内へ流れこむと予想され、日本企業もキューバへの進出を図る動きがあります。
この国交正常化によって、キューバ産のシガーはどのような影響を受けるのでしょうか。現段階では大きな動きがありませんが、年々キューバ・シガーの値段は上昇傾向にあるそうです。
キューバにとっては、世界最大のシガー消費国であるアメリカへ輸出の門戸が開かれ、大きなビジネスチャンスと言いたいところですが、キューバ産シガーの現状の供給量では、アメリカを含め世界中の需要に応えることは難しいと予測されています。また、半世紀もの間、ドミニカ産、ホンジュラス産、ニカラグア産のシガーが席巻してきたアメリカに、キューバ産シガーが入りこむのは容易いことではありません。今後のキューバの動向に注目が集まります。
首脳会談で握手する、オバマ大統領(右)と、フィデル・カストロの弟であるラウル・カストロ国家評議会議長。
(Kinoko kokonotsu/Wikipedia)