日本の葉巻
日本に初めてたばこが伝来したのは、室町時代後期~安土桃山時代(=16世紀後半)とされていますが、いつ・どこから伝わったのか、そして、どのようなたばこだったのかは、定かではありません。しかしながら、日本にたばこの風習を広めたのは、ヨーロッパ人だったと言われており、これは、天文12(1543)年にポルトガル人の乗り合わせた船が、鹿児島県の南方に浮かぶ島=種子島へ漂着したことをきっかけとしています。 この漂着は新たな航路の発見につながり、以後、日本にはポルトガル人やスペイン人が相次いで訪れ、“南蛮貿易”と呼ばれる日欧間の貿易が行われるようになりました。この時、ポルトガルとスペインでは葉巻が普及し、喫煙されていたと推測されており、ここから日本人が最初に見たたばこは、葉巻だったのではないかと考えられています。 これを裏付けているのが、江戸時代中期の元禄5(1692)年に出版された書物「本朝食鑑」です。この中には、たばこに関する記述があり、『蕃(=ポルトガル・スペイン)の商人がたばこの葉を円錐形に巻き、広い部分を指で挟み、狭い部分を口にくわえ、火をつけて吸っていた』という、葉巻とおぼしきたばこの解説が残されています。 |
スペインのガレオン船の模型。“南蛮船”とも称されたこれらの船に積載され、たばこは日本に伝来した。 |
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ところがこの後、日本では、葉巻ではなくキセルによる喫煙が主流となりました。これは、ポルトガル人やスペイン人に次いで日本を訪れたオランダ人が、パイプを用いて喫煙していたためではないかと考えられています。 |
江戸時代の日本では、200年以上にわたって諸外国との通商・交通を禁止する対外封鎖政策=鎖国が行われていました。この政策が終焉の時を迎えたのは嘉永6(1853)年のこと。浦賀沖に、アメリカ合衆国海軍東インド艦隊が現れ、江戸幕府に開国を求めたのです。“黒船来航”と呼ばれたこの事件を機に、幕府は各国と修好条約を締結。日本は世界へとその門戸を開くこととなりました。こうして日本には西洋の品々が流通するようになり、たばこも輸入されるようになります。そして、その多くがヨーロッパを中心に流行していた葉巻だったのです。 日本に輸入された葉巻のほとんどは当初、日本で暮らしはじめた外国人のためのものであり、キセルによる喫煙が主流だった日本人にはなじみの薄いものでした。それがやがて、外国人と接する機会の多い要人や役人らの目に留まるようになり、日本人の中にも葉巻を吸う人々が現れるようになります。この様子は、黒船来航の10年後の文久3(1863)年に日本を訪れたスイスの遣日使節団長=エメ・アンベールも記録。彼は、旅館での宿泊の際に、日本人の召し使いが、たくさんの葉巻を乗せたたばこ盆とリキュールを運んできたと書き残しています。これは、葉巻が日本でも流通していた証であり、当時でもある程度の需要があった事実を裏付けているといえるでしょう。 |
幕末の日本の様子を描写した絵画の中には、葉巻を吸う外国人の姿が多数、描かれています。 当時の日本人には、外国人はもとより、葉巻も“西洋の珍しさの象徴”だったのでしょう。 |
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