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浮世絵とは、庶民の生活や娯楽、流行など、江戸時代の風俗を描いた絵画のことです。享楽的現世や好色的などの意味を持つ、江戸時代初期の流行語“浮世”が語源と言われ、遊里や歌舞伎など“浮世”の風俗を描いたことから浮世絵と呼ばれるようになりました。
もともと江戸以前は、肉筆画で描かれるものが中心だったため、主に貴族が楽しむ“芸術”でした。というのも、肉筆画で描かれたものは、大量に制作することができず、価格も安くはなかったからなのです。
江戸時代になってからは、大量に制作することができる版画の技術が発達。手軽に浮世絵を求めたい庶民の欲求にも応え、同時に庶民の文化へとなっていったのです。 |
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コピーという印刷技術がなかった当時、肉筆画で描いた浮世絵は、世の中でたったひとつという貴重なものでした。自分だけの絵を求めた注文者の依頼を受けた絵師は、自分の描いた絵がそのまま自分自身への評判を左右するとあって、版画以上に力を注いだといいます。 |
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これに対し版画で描いた浮世絵は、絵を描く絵師、絵を彫る彫師、絵を摺る摺師、そして浮世絵を印刷物として完成させる版元の共同作業でした。絵師が何を描くのかをひとりで決めるのではなく、現在の出版社に当たる版元が、当時の流行や人々の嗜好をとらえて、絵師に描く絵を発注。いわば、アーティストとしての絵師、プロデューサーとしての版元、技術職の彫師と摺師とのコラボレートにより浮世絵は制作され、絵草子屋を通して販売されたものを、人々が気軽に買い求めたのです。
また、当初は墨一色だった版画で描いた浮世絵は、時代とともに変貌をとげていきます。1点1点彩色をしたもの(丹絵)、彩色に手を加えて漆などを混ぜたもの(漆絵、紅絵)、黒刷りに2〜3板の色版木を加えて筆で彩色したもの(紅刷り絵)など、色鮮やかに変わっていきました。そして18世紀後半になると、木版多色刷りの錦絵が誕生するのです。 |
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