其の十六 付けざしのそばで大きなせきばらい

イラスト
たばこの川柳
愛 し合う男女が一本のキセルに思いを込めて、互いに一服ずつ吸い合うのを「吸い付けたばこ」とも「付けざし」とも言う。江戸時代の遊廓などでは、遊女が客を誘う手段として、この手をよく用いた。そこでこの一句だが、どんな情景を想像するだろうか。

遊女が付けざしたキセルを客に差し出したとすれば、そばで大きな咳払いをしたのは、もてない男のやっかみである。「おれにも寄越せ」との催促──それを口に出せば“野暮”になる。もてない男のギリギリの選択が咳払いとは、おかしくも、ちょっぴりわびしい情景である。

所帯を持ったばかりの若夫婦とすればどうだろう。だれ憚る(はばかる)ことなく、付けざしたばこを楽しむことができそうだが……。この家には、舅(しゅうと)がいたのである。夫婦仲の睦まじいのはよいことだが、付けざしも度重なると、老人といえど独り身の目には、いささか毒が過ぎてくる。そこで大きな咳払い……。

洋の東西を問わず、恋は盲目とか。西の恋人たちは人前でもキッスを憚らないが、東ではたばこの付けざしで間接キッスとは粋な振る舞い。だが、ここでご注意あれ。粋の要諦は媚態にあり。その媚態について九鬼周造先生はおっしゃる──「媚態の要は、距離を出来得る限り接近せしめつつ、距離の差が極限に達せざることである」と。ベタベタしない程度に接近し、下品に堕さず、上品に澄まさず……。そんな艶と張りのある態度に“粋”を感じた江戸っ子の美学が、ここにはある。人前での男女の振舞いと喫煙マナーに共通する江戸っ子の“粋”の美学は、現代の大人にも求められるものではないだろうか。
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