其の五 ワキ僧は煙草盆でもほしく見え

イラスト
たばこの川柳
能 の主役は“シテ”と呼ばれるが、最初に舞台に登場してくるのは、多くの場合、僧侶や山伏などの姿をした“ワキ”である。ワキは「これは諸国一見の僧にて候」などと自己紹介した後、場面や状況を説明して舞台の雰囲気づくりをし、シテの物語や演技を引き出す。

最初に登場するのがワキなら、最後に退場するのもワキである。その間、ワキ座にじっと座って、シテの演技を見つめていることが多い。そんなワキ役の僧侶の姿は、観客の目には、いかにも手持ち無沙汰に見える。あのワキ僧、退屈しのぎにたばこでも一服吸い付けたい風情でおかしい、というのが一句の意味である。

室町時代に盛んになった能は、江戸時代に入ると幕府御用の芸能となったため、庶民からは遠のいた。とは言っても、将軍お世継ぎ誕生などの大きな慶事の際には、江戸城内で盛大に能が興行され、その折には数千もの庶民が招待され混雑した。祝賀の宴を兼ねているとあって、演能中かけ声をかける者もあるなど、観客の態度も今日とは異なっていた。舞台上で黙然と座するワキ僧に向かって、「たばこでも吸わねぇか」などと野次る者があれば、周囲は笑いにつつまれたことだろう。

 ひまな時間を持て余すのは、今も昔も変わらない。旅のつれづれや人を待つ間の無聊(ぶりょう)の折など、時の経つのが遅い。そこで愛煙家なら、ごく自然にたばこを手にする。一服すると、弛緩した気持ちに弾みがつき、さまざまな思いが巡るうちに時を忘れる。手持ち無沙汰をまぎらすにはたばこが一番……。そのことを江戸庶民もよく心得ていたからこそ、冒頭のような川柳が生まれたのだろう。
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