句の意味は明快。「灰吹き」を「灰皿」に置き換えれば、そのまま現代の情景になる。朝、起きがけに知る戸外の雪景色……。雪の少ない地方では感興をそそる。つい出勤時間のことも忘れて、たばこと灰皿を手許に引き寄せ、吸い付けながらしばし見とれる。
そのうちに、ふと我に返って通勤のことが気にかかり始める。電車やバスは動いているだろうか……。慌ててテレビのスイッチを入れると、ダイヤの乱れを伝えるニュースが流れている。さて困った、代替ルートを考えなくては……。そこでまた、思案の一服。
江戸の昔も、これに似た情景が見られたことだろう。灰吹きを持って朝の雪を見ている人物は、登城前の旗本か、長屋住まいの浪人か、商家の若旦那か、それとも御隠居か。雪を見ている場所は自宅の縁先か、障子を薄目に開けた部屋の中か、それとも朝帰り前の某所か。この人物は朝の雪を単純に楽しんでいるのか、それともこれからの行動を思案しているのか。雪はいまも降っているのか、もうやんでいるのか……。いろいろ穿鑿(せんさく)してみると、最初は明快と思われた句も、なかなかに意味深長である。
いずれにしてもこの人物、いまだ寝巻き姿で半ば震えながらの雪見であり、思案である。そんな中でも灰吹きだけは手放さない。それが傍目(はため)にはいかにもおかしい。
愛煙家は新しい状況に出会うと、まず一服して気を鎮め、その状況をよく見極め、適切な対応に向けて心の準備をする。そのことによって、多様な状況の変化にもめげない生活力が発揮される。これもまた、喫煙という何気ない行動に秘められた、昔からの暮らしの知恵である。 |