まどき狐や狸に化かされるという噺(はなし)をしても、怪訝(けげん)な顔をされるのが落ちかもしれない。子供たちの科学的知識は昔にくらべ格段に進んでいるうえ、都市化が進んで山野の森や林は少なくなり、獣たちに出会う機会もめっきり減ったからである。とはいっても、昔の民話に残る狐や狸の噺には、童心を不思議の世界に誘うものがあり、自然界のマジカル・パワーを感じさせてくれる。合理的な説明を超えた世界を垣間見せてくれる昔話や民話は、子供の夢を育むばかりでなく、大人の固定観念をも融解する力を秘めている。
ところで冒頭のことわざは、狐や狸の類はたばこのヤニの臭いを嫌うから、化かされそうだと思ったときは、たばこをのむとよいという意味である。このようなことわざが、香川県の農山漁村で言い伝えられているそうである。事の真偽はともかく、たばこの煙を浴びせられて、尻尾を巻いて退散する狐や狸のユーモラスな姿を想像してみるのも悪くない。かつての農山漁村の暮らしは、人が獣に化かされたり、獣が人にやっつけられたりしながら、お互いに相手を認め合う関係にあった。このような関係が断ち切られてしまったところに、今日の自然破壊と人々の心の荒廃ぶりの遠因があるのかもしれない。
人を化かすのは狐や狸ではなく、人が人を化かすのだ……これが現代人の偽らざる感情だろう。詐欺、ぺてん、はったり、おべんちゃら、恐喝、恫喝……。人間の騙しの術は狐や狸よりも、よほど手が込んでいる。
何となく胡散臭い(うさんくさい)という話には、眉に唾を付けるという方法もあるが、たばこに火をつけながら間合いを取るというのも一法ではないか。「ちょっと待てよ、その話…」と心中密かに相手の言葉を反芻(はんすう)し、言葉とは裏腹な表情の変化を読み取る……。
嘘を見破るには心のゆとりが必要だが、それを与えてくれるのが一服のたばこである。化かされそうな時は、たばこ……昔の智恵は今日でも立派に活かすことができる。 |