が国の「細刻みたばこ」は、世界でも類がないほど繊細で精妙なたばこである。各地で出来る在来種を多種類一定の順序で積み重ね、約0.1ミリの幅に刻んだもので、綿のように手触りがふっくらと柔らかく、弾力があって、キセルの小さな雁首(がんくび)にも難なく納まった。刻みは赤みを帯びた光沢があるものが尊ばれ、喫味も淡白で香りのよいものが喜ばれた。吸湿性が少なく、長く貯蔵しても品質が悪変することが少ないことも特徴の一つだった。
標記の言葉は、刻みたばこが湿ってくるようであれば雨の前兆だという意味で、越中地方の俗諺(ぞくげん)である。吸湿性が少ないとされる刻みたばこも、梅雨の季節や雨模様の時のように、大気中の湿気が多いときは、否応なく湿り気を帯びたのだろう。いかにもありそうな話である。今日のように降水確率を数字で表すことはなかったが、往時の庶民は自然の変化を察知する知恵を随所に働かせていた。このことわざもその表れで、“しとしと”と表現したところに感性の細やかさがにじんでいる。
ところで、シガレットの隆盛とともに刻みたばこは凋落(ちょうらく)の一途をたどり、昭和54年(1979 年) には遂に唯一の国産刻み「ききょう」の製造が中止されてしまった。この時困ったのは、一部に根強く残った刻み愛好者と、歌舞伎や新派などの芝居の世界に生きる人たちであった。専売公社は刻みたばこの輸入でこの場を凌ごうとしたが、あの繊細で弾力のある手触りにはほど遠かった。輸入刻みでは、一服吸う量のたばこを手際よく丸めてキセルに詰めるのが難しかったと、ある歌舞伎役者は語っている。昭和60年(1985年)
末にJTが国産刻みの「小粋」を発売するようになって、この窮状は救われたようだ。
「ききょう」で一端幕を閉じ、「小粋」で再開した刻みたばこの国内製造───いずれもその舞台となったのは当時の池田工場であった。「小粋」は現在、東京工場で製造している。 |