の用心、さっさりましょうぉ── 」
自警団が拍子木(ひょうしぎ)を鳴らしながら夜回りをする習わしは、戦前までは各地に残っていた。夏休みなど、小学校の子供たちが隊列を組んで、上級生に先導されて町内を回ることもあった。この時ばかりは、大手を振って夜ふかしが出来るというので、子供たちはうきうきしていた。夜回りの途中、竹藪からお化けに扮した上級生が飛び出したり、墓場の近くで怪談話が始まったりと、興奮の種は尽きなかった。
江戸の昔は自身番があって、不審者がいないか、火の元は大丈夫かと木戸の内を夜回りしたらしい。毎夜のこととて、つい注意を怠りがちになる。さっさと回って番所に戻り、たばこを吸ったり、お茶にしたいと思うのが人情。しかし、注意がおろそかになった時に限って、後で事が起きる。
そこで冒頭のことわざである。「夜回りは三度してから休憩しよう」の意味である。そこから発展して、「物事は念入りに行ったうえで休憩しよう」とか「休むのはひとまず後にして、念には念を入れて仕事には手落ちがないよう十分気をつけよう」との意味にもなった。
ここで興味深いのは、「煙草にする」という言葉が「一服する」「休息する」「ひと休みする」の意味に使われるようになったこと。休息する時には、たばこを吸うのがごく自然なしぐさとなっていたことから、こうした表現が生まれたものと思われる。そういえば、昭和三十年代の専売公社のポスターにこんなキャッチフレーズがあった。
「たばこは生活の句読点」
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