谷川浩司九段インタビュー

1分の考慮時間を効果的に使うことにこだわった。 1分の考慮時間を効果的に使うことにこだわった。

photograph by Aya Watada

谷川将棋のキャッチフレーズは、ご存じ「光速流」。あまりの寄せの速さに同業者たちが畏怖の念を抱き、自然な形で呼び名が定着した。複雑な終盤戦をあっさりと読み解く谷川の能力の高さを、あとに続く羽生善治らの世代が「終盤にも定跡があるのだと教わりました」と徹底的に研究して吸収した。

言ってみれば、将棋の技術の進化に大きく貢献する役割を担ったと同時に、後輩たちを強くしてしまったのだが。

早指しにも極意があるのかを聞いた。

「将棋の作り方が違いますね。自分のペースで戦えるかどうかが大きいと思っています。私の場合は攻め将棋なので、少し無理気味でも攻める展開にしたいと意識しました。時間の使い方でも、ひとつ決めていたことがあります。

どう頑張っても30秒将棋にはなるので、1分ずつ5回ある考慮時間をどう使うかが大事になります。最後の最後で勝ちを読み切るとき、30秒では読み切れないけど、1分30秒あれば読み切れるということが経験上わかっているので、最終盤に少なくとも1枚の考慮時間だけは残しておきたい。そこはこだわりました」

1分30秒あれば、どんな複雑な終盤戦も読み切れるという自信は、トップ棋士ならではの瞬発力と言うべきだろう。谷川自身は「その瞬発力が落ちているんですよね。気づいたのは最近ですが、おそらく30年ぐらい前からなだらかに落ちているのだと思います」と言う。この感覚も、天才棋士でなければキャッチできないものではなかろうか。

「私の最後の棋戦優勝というのが'09年のJTプロ公式戦です。'83年の初出場から、'08年まで26年連続で出場していて、'09年は賞金順位13位で寂しく出場が途切れたところでした。

しかし、渡辺明さんのご家族が当時大流行していた新型インフルエンザにかかってしまい、ご本人は陰性だったのですが、公開対局であることを踏まえて、結果として私に復活出場が回ってきたんです。

ラッキーと思う余裕はなくて、当時竜王だった渡辺さんの代役ということでプレッシャーがかかる初戦でしたが、そこを勝ってからは伸び伸びと指せました。決勝は勢いのある深浦康市王位(当時)が相手でしたが、これもうまく指すことができました。

photograph by 将棋日本シリーズ総合事務局

でも、いざ優勝したら、また複雑な気持ちになりました。さすがにこの大きな賞金をいただくことはできないなと考えて、こどもたちのために使ってほしいと優勝後のインタビューで話させていただいたのです。

こども大会が併催されている唯一の公式戦ですからね。最終的に賞金の一部で、東京と大阪の小学校に盤駒を寄贈しました。形として残すことができて良かったかなと思います」

将棋日本シリーズテーブルマークこども大会が創設されたのは'01年。今年度はコロナ禍で開催されなかったが、例年、全国11地区でJTプロ公式戦と併催されている。

「プロを目指すこどもたちもたくさん出場していますので、対局中も彼らの真剣な視線は意識します。意表を突いた手を指すと、会場が少しどよめくというか、直に反応が伝わるのもやりがいになります。

いまやテーブルマークこども大会は、プロの登竜門として定着しました。実際、大会出場者でJTプロ公式戦に参加するトップ棋士が5人もいるんです。藤井聡太、永瀬拓矢、菅井竜也、斎藤慎太郎、髙見泰地。10年後は、参加12人のほとんどがテーブルマークこども大会の出場者で埋まりそうです」

若い力を認めながらも、最近になってAIによる研究も取り入れるなど、進化を諦めないレジェンドの姿勢が眩しい。

プロフィール

谷川浩司(Koji Tanigawa)

  • 1962年4月6日、兵庫県生まれ。11歳で奨励会に入り、14歳でプロデビュー。'83年、史上最年少の21歳で名人位に。
    以来、竜王4期、名人5期などタイトル合計27期。JTプロ公式戦は史上最多の優勝6回、準優勝5回をマーク。
    '12年から'17年まで日本将棋連盟会長を務めた。