は、怪我で切り傷をつくった時など、刻みたばこをひとつまみ傷口に押し付けて、血止めとしたものである。それが不思議によく効いて血が止まり、化膿止めの消毒にもなった。江戸の昔からの民間療法である。血止めに使うたばこは、せいぜいキセルの火皿に詰めるくらいの量で済む。それほど僅かしかたばこ屋の女房はまけてくれない、というのである。
江戸時代、刻みたばこを商う店では、亭主が葉たばこを刻み、女房が秤にかけて客に売るところが多かった。そんな店に来た客の中には、勘定を済ませた後で「これは血止めの分だ」と言いながら、黙って余分にひっ掴んで出ていく者もあったらしい。しっかり者の女房なら、客に言われる前に「はい、血止め分」と言って、ほんのちょっぴりまけてやる。気は心で、客もまんざら悪い気はしない。たばこ屋の店先でのこんな駆け引きが、商いを活気付け笑いを誘う……。
昔からたばこを血止めに使ったことでもわかるように、たばこには嗜好品としての楽しみのほかに、民間医薬としての用法があった。
アメリカ大陸からヨーロッパにたばこが伝えられた時は、そのさまざまな薬効が有識層の間に宣伝されたし、たばこを頭痛薬として用いた王妃もあった。わが国ではその昔、フィリピン総督の使者が徳川家康に謁見(えっけん)した折、献上品の中にたばこで作った膏薬とたばこの種子があった……。
キューバ革命の英雄・カストロやゲバラが葉巻を愛用した理由の一つは、ゲリラ戦で茂みの中を行軍する時、やぶ蚊を払うためであったとも言う。そもそも、アメリカ大陸の先住民にとっては、たばこは聖なる薬草であった。そしていま、私たちの疲れた心を癒す憩いの一服──それは、やはり薬草でなくて何であろうか。 |