落語とたばこ

たばこに縁のある落語 古典落語にはキセルでの喫煙が主題になっているもののほか、点景として噺(はなし)を引き立てるものも多く、その数は枚挙に暇がありません。ここでは、そんな落語のいくつかを取り上げてみました。
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  • >>  【二】 たばこに縁のある落語
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お武家様の振る舞いを真似してみたものの… 『ふだんの袴(はかま)』

  墓参りの帰り道、供の者とはぐれてしまったお武家様が、ふと顔見知りの骨董屋を見つけます。そこで迎えが来るまでの間、店先で一服していると、目に留まったのが立派な鶴の絵の掛け軸。骨董屋の店主によれば著名な谷文晁(たに・ぶんちょう)の作だとか。それを聞いたお武家様は感心して「あぁ見事な作だ、うぅぅん…」と、うっかりキセルに息が入り、抜けた火玉が上等な袴の上へ…。
  慌てる店主に、お武家様は動じる様子もなく「いやぁ、案じることはない。これはいささかふだんの袴である」。
  その一部始終をそばで見ていた職人の八五郎は、自分でも真似したくなり、大家から安物の袴を借りてくると骨董屋に上がって一服つけます。同じように鶴の絵を“文晁”の作と説明されて「なぁ、これはお前、“文鳥”じゃぁなくて鶴だ」といって、プッとキセルを吹いたところが、その火玉が頭の上へ…。
  「ほぅ、あなたさま、おつむに火玉が落ちましたが」と心配する店主に八五郎はひと言。
  「いやぁ、心配(しんぺい)するねえ、ふだんの頭だ」

  『ふだんの袴』は、お武家様のキセルが金無垢(むく)の延べキセルという、すべてが金でできている高価なものなのに対して、八五郎のそれは刀豆(なたまめ)形キセルという、刀豆のようにずんぐりとした形の安物だったりと、武士と職人それぞれの描写が細かく、往時の身分による持ち物の違いを知ることができます。

オツなあくびは稽古で習うもの? 『あくび指南(しなん)』

  あるとき、「あくび指南所」と看板を掲げる家ができたのを見て興味をもった熊さん。一人ではきまりが悪いと友人の源さんを連れてでかけます。
  師匠に教えを請うと、春は日長(ひなが)の日溜まりで、秋は月を眺めながらなど、あくびには四季それぞれのものがあるのだとか。その中でもやさしいといわれる夏のあくびを指南してもらうことになるのですが…。
  まずは師匠がお手本を披露。舫(もや)った舟の上で一服している光景をイメージして体をゆっくり揺すり、キセルに見立てた扇子を手に、煙が糸のようにのぼっていくさまを想像しながら「舟もいいが…一日(いちんち)乗ってると、退屈(てえくつ)で…退屈で…」と、最後に大あくび。しかし、熊さんが真似ようとすると、どうもぎこちなくてうまくいきません。
  何度も繰り返す稽古を見ていた源さんはうんざりした様子で「稽古をしている手前(てめえ)はいいだろうが、そいつをバカな面(つら)ぁして、ここで待ってる身にもなってみろ。退屈(てえくつ)で…退屈で」と、大あくび。
  それを見た師匠が「へえ、あの方はご器用だ」。

  江戸時代の後期には、庶民の間でも稽古ごとが盛んだったそうです。子供は読み書きに算盤、大人は長唄や浄瑠璃など、町中にはさまざまな稽古ごとの師匠がいたことでしょう。『あくび指南』は、そうした稽古ブームを茶化したのかもしれません。

将棋に夢中な二人にこっそりいたずら 『浮世床(うきよどこ)』

  暇な連中が集まって、日がな一日将棋を指したり、本を読んだりしている床屋の小間でのこと。将棋に夢中になっている二人には、傍らに置いたキセルが目に入りません。そこで別の二人がいたずらをして、キセルの羅宇(らう)と呼ばれる管から雁首(がんくび)と吸口(すいくち)を外して、一方の管に雁首と雁首を、もう一方には吸口と吸口をつなげてしまいます。
  それに気づかず「一服やって考えてみますよ…」と、キセルを口に持っていった一人。雁首をくわえてしまい「ぷっ…」と吹きだし、慌ててキセルの向きを変えますが、今度は火のついた雁首で「あち、あちっ…」。さらに向きを変えるものの…。
  もう一人は雁首の火皿に刻みたばこを詰めようとしますが、手先を見ると吸口のため、クルッとキセルを半回転。しかし、また吸口なので半回転と、次第にグルグル早回しに。
  「なんだいこれぁ、おい。両方…これぁ雁首じゃぁねえか」
  「おっ! これ見ねえ、おれのは吸口ばかりだ」
  「はぁ、じゃ、ここへ置いといたら引っ越したんだ」
  「バカぁいうな、キセルがひとりで引っ越すかい…」

  床屋という名称は、江戸時代の初めに橋の袂(たもと)などで床=縁台を置いて営業していたことに由来するそうですが、昔は髷(まげ)を結ったことから「髪結床(かみゆいどこ)」、または、町内の寄り合いの場として客が世間話、つまり浮き世話に花を咲かせたことから「浮世床(うきよどこ)」とも呼ばれていました。

女性二人のヤキモチが火の玉になって衝突? 『悋気(りんき)の火の玉』

  商家のお堅い旦那が、あるとき、悪友に連れられて吉原に行くとすっかり入れ込んでしまい、相方を身請けして立派な別宅を構えることになります。
  嫉妬した本妻は妾(めかけ)を恨んで、五寸釘で藁(わら)人形を“カチーン”と呪いはじめるのですが、それを知った妾は対抗して六寸釘を“カチーン”、それならばと本妻は七寸釘で“カチーン”。とうとう二人の一心が通じたのか、お互いにコロッと亡くなってしまいます。
  ところが成仏できず、今度は火の玉になって火花を散らす騒動に。困った旦那は和尚と一緒に夜中の寺へと、二人の火の玉をなだめにでかけるのですが、付け火道具を忘れた旦那がたばこを吸いたいと思っていると、ちょうどいいところに妾の火の玉が現れてキセルに火をつけます。
  「ふぅっ、うまいねぇ…」
  そんなところに、今度は本妻の火の玉が飛んできたので…
  「おまえの来るのを待ってました。ちょいとこっちに来ておくれ、あたしがね、たばこをね…」といってキセルを持っていこうとすると、火の玉がスーッとそれて…
  「あたしのじゃうまくないでしょ、ふん」

  『悋気の火の玉』は、たばこの火を火の玉に借りるという着想がなんとも奇想天外ですが、嫉妬する人間の性をよく捉えたお噺でした。原作は天保4(1833)年刊の桜川慈悲成(さくらがわ・じひなり)著『笑話本養談数(ようだんす)』で、発端の身請けから結びまで、ほぼ忠実に落語化されています。

夢か? 現実か? パラレルワールドの人情噺 『芝浜』

  おっかぁに早く起こされてしまった魚屋の勝五郎が、魚河岸で一服しながら夜明けを待っていると、浜辺に打ち上がった財布が目に留まります。キセルに引っ掛けて中を見てみると、なんと大金の42両が…。
  これで仕事をする必要もなく好きなだけ酒が飲めるといいだした勝五郎。案じたおっかぁは、泥酔して目が覚めた勝五郎に、財布を拾ったのは夢だったと思い込ませてしまいます。
  飲んだツケだけが残って、酒はもうたくさんと改心した勝五郎はまじめに働くようになり、天秤棒を担いで売り歩く棒手振(ぼてふり)だったのが、3年経った後には、表通りに店を出すまでに出世します。
  そんな3年後の大晦日。おっかぁが騙していたことを打ち明けますが、勝五郎は怒ることもなく、自分の身を案じてくれたことに感謝します。機嫌直しにと用意してくれた酒を手に取りますが、そこでひと言。
  「よそう、また夢になるといけねぇ」

  『芝浜』は、おかしみよりもホロリとさせる人情噺ですが、最後のオチは、現実がほかにも存在する世界=パラレルワールドを題材としたSFを思わせます。たばこが主題ではないものの冒頭の魚河岸で「あぁ、ぼおぅっと白(しら)んできやがった…あぁ、いい色だなぁ」と、夜明けの浜を眺めながら勝五郎が、しみじみと一服するシーンが心に残ります。

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