A History of Tobacco たばこの歴史
時代の波を受けた「たばこ」
日本が戦争への道を歩み始めた昭和10年以降には、庶民の嗜好品である
「たばこ」にもその影響が色濃く見られるようになります。
戦火をくぐり抜け、さらなる発展を遂げた「たばこ」の足跡を見てみましょう。
戦時体制下の「たばこ」
  昭和12(1937)年に日中戦争が始まると、「たばこ」もすぐに影響を受けます。その影響はポスターにも表れました。
  大正から昭和にかけて商業美術化され、アート性に富んでいたポスターでしたが、戦争が始まると紙面には“戦意高揚”を目的とするキャッチフレーズが採用され、ポスターの持つ意味合いまでもが大きく変わることになったのです。
  また、「たばこ」の包装にも大きな変化が生じました。日中戦争時にはパッケージの簡素化が進みましたが、戦火が飛び火し、太平洋戦争が勃発すると、さらに印刷の色の削減や包装の簡易化を余儀なくされます。
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  さらに、「たばこ」の税金には、軍事費確保の目的で通常の税金に加えて戦時負担金が加算されたほか、英語の使用禁止を受けて名称の変更も行われました。

  やがて昭和19(1944)年には、製造能力が落ちたため「たばこ」は配給制となり、物資不足から代用葉までが混入され、「たばこ」には大きな変化がもたらされることとなったのです。
昭和10年代に制作されたポスター。
当時の日本では商業美術は、産業美術、報道美術と名称を変え、戦時体制へ組み込まれていった。
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簡易包装された「刻みたばこ」と、「たばこ」を手で巻くための巻紙と手巻器。
太平洋戦争末期から敗戦直後にかけて日本に存在した喫煙関連の資料。
戦後の復興とともに生まれ変わった「たばこ」
  昭和20(1945)年に長かった戦争が終結すると、「たばこ」にも再び変化が生じます。
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  当時の「たばこ」は困窮した国家財政にとって税収の約20%を占める重要な財源でしたが、戦災で工場の半数を失っていたため、巷では極端な品不足が続いていました。
  それでも戦後の虚脱感と苦しい生活のなか、安らぎを得るための数少ない嗜好品として庶民が「たばこ」を求めたため、結果として、私製の「手巻たばこ」や進駐軍が横流しした「外国たばこ」がヤミ市に出回ってしまいます。この事態が改善されたのは、終戦から数年後のことでした。

  日本の復興とともに「たばこ」産業の立て直しを図った政府は、昭和24(1949)年に日本専売公社を発足させます。次ぐ昭和25(1950)年には、長きにおよんだ「たばこ」の配給制度も廃止され、「たばこ」は新たなる局面へ向かうことになったのです。
日本専売公社の発足後に制作されたポスター。
戦後の復興の兆しがデザインやキャッチフレーズから垣間見える。
「フィルター付きたばこ」の誕生
  現在、主流となっている「フィルター付きたばこ」が、日本に登場したのは昭和30年代のことです。

  昭和32(1957)年に国産初の「フィルター付きたばこ」である「ホープ」が発売され、続いて昭和35(1960)年に発売された「ハイライト」とともに爆発的にヒットしたことで、時代が「両切たばこ」から「フィルター付きたばこ」へと移行しました。

  高度経済成長期を経て、“量より質”“個人のゆとり”が大切にされるようになった日本では、「たばこ」も個人の嗜好の多様化に対応し、さまざまな特徴を持つ銘柄が登場するようになっていきました。