A History of Tobacco たばこの歴史
2人の“たばこ王”の登場
「紙巻たばこ」が広く普及した明治中期以降、日本の「たばこ」事業は
一大産業として確立されていきます。この章では、「たばこ」の激動期を迎えた
日本で活躍した“たばこ商”について解説します。
活発化した「紙巻たばこ」の宣伝合戦
  日本の「たばこ」産業が急速に発展した明治30(1897)年頃には、「たばこ」の製造業者である“たばこ商”が全国におよそ5,000人おり、それぞれが特色のある「たばこ」を製造・販売していました。
  この頃、製造業自体は、大都市を中心に問屋制手工業から工場制手工業へ、そして工場制機械工業へと移行しはじめ、資本を蓄積した“たばこ商”が近代的な会社形態をとるようになります。
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  そして起こったのが“たばこ商”による猛烈な宣伝競争でした。各社は、より多くの商品を販売するために看板やポスターなど、あらゆる媒体を利用して宣伝合戦を繰り広げていきます。その中でも特に有名なのが、東京の岩谷商会と、京都の村井兄弟商会による商戦でした。
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東京の千葉商店が創出した「たばこ」のパッケージとポスターと看板。同社は“牡丹(ぼたん)たばこシリーズ”で人気だった。
“天狗の岩谷”と“ハイカラの村井”の対決
  東京を拠点に「口付たばこ」で名を馳せた岩谷商会と、京都を拠点とする村井兄弟商会の商戦が本格化したのは、村井兄弟商会が「両切たばこ」を発売した明治27(1894)年以降のことです。
  “明治たばこ宣伝合戦”と称されるほど大々的に行われた2社の販売競争は、たばこが専売制になる明治37(1904)年まで続き、日本の宣伝広告のあり方や、さらには印刷技術の発展にまで大きな影響をおよぼしました。
「たばこ」で一時代を築いた“岩谷
  「天狗煙草(たばこ)」で人気を博した岩谷商会は、“明治のたばこ王”の1人である岩谷松平が起業した会社であり、国産の葉たばこを原料とする「口付たばこ」を主力商品としていました。  
  奇抜な発想の持ち主だった岩谷は、当時はまだ「キセル」が全盛であった日本において自ら“大安売の大隊長”を名乗り、看板や新聞など、ありとあらゆる広告手段を使って宣伝を行い、「紙巻たばこ」の存在を世に広めました。
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岩谷
岩谷商会の1ブランドだった「天狗煙草」。看板やポスターを多用し、人々の購買意欲を誘った。
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明治30(1897)年頃の岩谷商会の宣伝隊。
赤色に染められた自転車が、
広告塔として東京中を走り回った。
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村井
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明治31(1898)年頃に村井兄弟商会が作成した
宣伝用のすご六。
業界に革命をもたらした“村井”
  日本で初めて「両切たばこ」を発売した村井兄弟商会は、岩谷に対抗した“明治のたばこ王”村井吉兵衛の企業です。同社では輸入葉たばこを原料に、欧米の最新技術を導入して「たばこ」を製造していました。
  アメリカで修行した村井は、自社製品に横文字の名を付け、包装用紙ほか、印刷にも技術導入を行います。また製品には、オマケとして“たばこカード”を添付するなど、当時としてはとても斬新な宣伝活動を行いました。
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村井兄弟商会の主力商品だった
「ヒーロー」のポスターと「サンライス」のパッケージ。