ひととき休憩室

木村 昴 × 市原隼人 前編

「ひととき休憩室」は、気になるふたりが雑談を繰り広げる休憩室です。
テレワークなども増えて、休憩時に雑談をする機会が少なくなったこの時代、ちょっとした気分転換に、ちょっとしたブレイクタイムに、あなたもこの「ひととき休憩室」で雑談に耳をかたむけながら、“休憩のひととき”を過ごしてみてはいかがでしょうか。

はじめまして、木村昴です。
市原隼人です。
お会いするのは今日が初めてですが、過去にニアミス的なことがありましたよね?
そうですね、大河ドラマとか。
はい。でも、同じシーンはなかったんですよね。なので今日は本当にドキドキしています。
実は、僕、市原さんにすごく憧れていて……。学生時代からずっと見てきました。ラップもされていたじゃないですか。当時、YouTubeに自主制作の楽曲をアップされていましたよね。覚えていらっしゃいますか?
10代の頃ですよね、懐かしい(笑)。
ラップの格好良さを知ったのも、市原さんがきっかけなんです。そんな市原さんが両耳にピアスをしているのに気づいて僕もピアスを開けました(笑)。
えっ、そうなんですか?
はい。今日も同じようなピアスをつけてらして、もう大興奮です。ちなみに、市原さんがピアスを開けたきっかけって何だったんですか?
単に好奇心でした(笑)。僕は好奇心が強い方で中学生の頃はパンクロックやミクスチャーが好きだったんですが、友達のお兄ちゃんがヒップホップを聴いていて、「これ、格好いいな」って。
当時はデカいTシャツに腰パンで。チカーノ文化にも影響されていました。16歳の頃にターンテーブルを買って、毎日練習していました。
そうだったんですね!
木村さんは若い頃からお芝居もされていましたよね。最初から興味があったんですか?
僕は生まれも育ちもドイツなんです。父がドイツ人で、母が日本人。7歳の時に日本に引っ越してきたのですが、日本語がまったく分からなくて。
それで母が、「日本語の勉強になるから」と児童劇団に入れてくれたんです。最初は習い事感覚だったんですけど、劇団でダンスや楽器、日本舞踊などを学ぶうちに、人前で表現することにのめり込んでいきました。「ドラえもん」のジャイアン役に合格したのは、中学生の時です。
ジャイアン、大好きです!
ありがとうございます(笑)。
でもその時に「声優が『好き』だけじゃできない」と痛感しましたね。やるからには全力でやらなきゃと。小学生の頃は俳優になりたい、芸人になりたい、ラッパーになりたい……いろんな夢がありましたが、声優業に「全ベット」する覚悟を決めました。
市原さんも、役者でやっていこうと決めた瞬間ってあったんですか?
もともと前に出るのも苦手ですし、今日みたいにお話させていただく場もすごく苦手なんです。
でも、10代後半から20代前半の頃に、ファンの方から「私は余命3カ月ですが、市原さんの作品を見て笑顔になれました」とか、「親子の会話がなかったけど、市原さんの作品を観た後に久しぶりに息子と話せました」というお声をいただいて、涙が止まらなくなったんです。
この方々のために、もっと頑張らなきゃと強く思い、生活が一変しました。
僕もお子さんや親御さんから、「学校が嫌だったけど元気なスバにぃを見て、楽しく行けるようになりました」とか、「ずっと家から出られなかった子が、スバにぃの姿を見て、外に出る気持ちになってくれました」と言っていただいたことがあるから、市原さんのお気持ちがすごく分かります。
逆に、お仕事を続けていくなかで「昔とは違う変化」を感じる瞬間はありますか?
10代の頃とは全然違いますよね。あの頃は「理由なき反抗」というか、まだ社会のことも人間関係のこともよく分からないからこそ出せるパワーもあったと思います。でも、20歳を超えるとどんどん丸くなっていく気がして。それが良いのか悪いのか、自分でもまだ分からないんですけど。
木村さんは変わったと感じること、ありますか?
どうだろう……。全然参考にならない話かもしれませんけど、少し前に占ってもらったら、「テンションが18歳で止まっている」と言われたんですよ。
あはは、いいですね!
僕も10代の頃に戻りたいなと思うことがあります。もちろん今も楽しく仕事をしているけれど、どこか慣れてしまう部分もあるじゃないですか。器用にこなそうとする自分が出てきた時に、「これじゃダメだ」と思うんです。やりたいこととやらなければならないことの狭間で、夢とビジネスが混在するなかでも、夢を優先できなくなった瞬間が自分の終わりだと感じています。
なるほど。
それが僕の中でずっと永遠のテーマです。だからというわけではないですが、給与明細ってあまり見たことがないんですよ。自分の表現する場が、すべて夢であってほしいという思いがあるので。常に泥臭くいたい、そんな感覚が自分の中にあります。
僕は給与明細めっちゃ見ますよ(笑)。それがモチベーションになった時期もありました。僕、7歳の頃から母子家庭だったんです。母が大変そうだった記憶がずっと残っていて……。子役として少しずつお小遣いをいただくようになったある日、母から「ママよりすごいじゃない」と言われて。それがすごくうれしかったんです。「これで少しは母が楽になれるのかな」と思ったらワクワクして。
めちゃくちゃ素敵な話じゃないですか。
市原さんがおっしゃってた「夢が原動力であるべき」という考え方も、時代や年齢によって変化していきませんか?そうも言ってられない時期が来たり、また夢に戻ったり……。
それが何度も繰り返されるからこそ、余計に「ビジネスなんかくそくらえだ!」と思って夢を優先していますね。木村さんはエンターテインメントの醍醐味って何だと思います?
幼稚な言い方になってしまいますけど、やはり「楽しい」ってことに尽きるのかなと僕は思います。ちょっと独りよがりな考え方かもしれませんが、「俺、楽しい!」っていうのがすごく大事で。それを見てほしい、楽しんでいる自分を伝えたい、みたいな感覚に近いかも。
生粋のエンターテイナーですね。
あははは。なんかそういうの好きだったんです。20代前半で、ちょっと調子に乗ってアストンマーチン買ったんですよ。DB9ってやつ。それもめっちゃ好きやったんですけど、同じ車とすれ違うたびにちょっと萎えるというか。それで、誰も乗ってなさそうな縦目のベンツにしたんです。
人と被りたくないって若い発想ですもんね。今でもそれはそうですけど。今でもそれしちゃうから、目立ってしゃあないですよね。リアルで言うたらね。(笑)
to be continued...

動画でひととき休憩室

動画で会話を楽しみたい方はこちら

ひととき休憩室をシェアしよう!