INTERVIEW
インタビュー
バレーボールを始めた小学生時代からセッター一筋
バレーボールを始めたのは小学校3年生の終わりくらいからです。きっかけは、中学校でバレーボール部の顧問をしていた親の知り合いがジュニアチームを作ることになり、そのチームに誘われて姉と一緒に始めました。最初はバックでレシーバーみたいな感じでしたが、4年生の途中からセッターになりました。厳しいチームでしたが、始めたころは楽しくバレーボールをしていたかなと思います。
始めたときに誘っていただいた方が顧問をされていた中学校がちょうど校区の中学校だったので姉と同じその学校に進んで、バレーボールを続けました。中学校3年生のときに大阪府のベスト4まで進んだんですが、その年の全国大会は大阪開催でいつもより出場枠が多く、3位決定戦で負けてしまい全国大会出場は叶わず、とても悔しかった思い出があります。
打倒名門校に燃えた青春の高校3年間
高校は大阪女子短期大学高等学校(現・大阪緑涼高等学校)に進みました。大阪は激戦区で名門校が多く、中学校の時から強い学校に勝ちたいという気持ちもあったのと、監督の方針に共感して大阪女子短期大学高等学校を選びました。
これまであまり声を出すような選手ではなかったんですけど、高校では練習中に声を出すチームカラーだったこともあり、中学校時代とは違って声を出すことや喜びを大きく表現することに当時は苦労しました。今ではその大切さがすごくよく分かります。
名門校に勝ちたいと思って続けていましたが、結果としては1年生のときに代表決定戦まで進んだのが一番良い結果でした。最後の3年生の大会では金蘭会高校に負けて悔しかったですが、チャレンジを続けた3年間だったと思います。
意識が高まった大学時代、そしてトップリーグへ
高校卒業後の進路を考える時期に監督から「Vリーグを考えてみないか」と言われて、そんなことは1ミリも考えていなかったのでびっくりしましたが、そこで初めてトップリーグで戦うということを意識しました。結局Vリーグのチーム練習などには参加しましたが、そこでは決まらなかったので、お話をいただいていた京都橘大学へ進学しました。高校のときにはどういう攻め方をするとか、相手がこう動くみたいなデータを使った戦い方をあまりしてきませんでしたが、大学にはアナリストもいましたし、データを活用しながら監督やチームメイトとこれまで以上に多く話すようになり、バレーボールをより考える機会が増えて、戦略的な面で鍛えられた部分が多かったです。
でも雰囲気的には明るく走り回って喜んでという関西特有のノリがあるようなチームカラーで、良い結果を残すことはできませんでしたが、人間的にも学びの多い4年間を過ごしました。
学生時代はしんどいとか、辛いとか思うことも多かったとは思うのですが、バレーボール以外の時間でチームメイトと過ごす時間が楽しいとか、応援してくれる人や、期待してくれる人がたくさんいました。周りの人に恵まれてきたバレーボール人生だなと思っていて、Vリーグに進むのも誰でも経験できることではないという思いと、周囲に応援してくれる人がいるのならば、チャレンジできる状況があるのならばやってみたほうがいいという思いもあって、卒業後はVリーグに進みたいということを大学の監督に相談したところ、監督が売り込んでくださったチームの中にPFUブルーキャッツ(現・PFUブルーキャッツ石川かほく)があり、それで入部しました。
これまでの価値観をガラッと変えられた監督との出会い
入部が決まって、内定選手として早いうちから試合にも出させてもらったりしていたのですが、周りのレベルも高く、訳も分からず必死でついていくのがやっとという感じでした。でもそんな中で試合に出させてもらって、経験を積めたことはありがたいなと思っています。
内定期間が終わった後、新たに監督が変わったのですが、この監督との出会いが大きくて、その監督はセッター出身だったんですが、本当に基礎の基礎、1から100まで教えていただきました。これまでもずっとセッターというポジションを続けてきましたが、全然価値観が変わるというか。今までと全く違う考え方や感覚を取り入れることができてより本当の意味でのバレーボールの面白さ、難しさを知ることができ、深く考えさせられるPFUでの5年間だったと思います。
2023年の黒鷲旗ではベスト6にも選出されて嬉しかったのですが、監督もそうですけど、ここでもチームメイトやスタッフたちとの出会いにも恵まれて、基礎を作り上げてきた5年間があったからこそ受賞できたのかなと思います。
さらなる成長を求めて
大阪マーヴェラスへ
移籍したのは環境を変えてやってみたいという思いが自分の中で出てきて、色々お話をいただいた中に大阪マーヴェラスがありました。トップリーグでもトップのチームなので「昨季無敗でレギュラーシーズンを戦い抜いたチームってどんなチームなんだろう?」「どういった練習をしてるんだろう?」って思って、そこでやってみたい、自分も成長したいという思いがあったので入部を決めました。
チームの印象としては初日からみんな気さくに話しかけてきてくれて、明るいし、馴染みやすいチームだと思いましたし、スタッフ含め本当に温かく迎え入れてもらったなと感じました。バレーボールの面でも一人ひとりのレベルも、コミュニケーションの内容とかもやっぱりトップのチームだなということを感じますし、刺激を受けています。
地元・大阪に戻ってきたこともホームな感じで懐かしいし、実家も近くなって嬉しいです (笑) 。
成長した姿を地元・大阪でみせたい
酒井監督になって男子バレーの要素も多く取り込まれて面白いバレーになるのかなと思っていて、前のチームでも男子バレーの映像を見て研究をしたりもしていたので、求められるものに対してしっかり応えていけるような努力をしていきたいです。
セッターとしても、身長が高くはないですが、低くもないとは思っているので、そこをいかしたトスワークは磨いていきたいですし、セッターは何でもできなきゃいけないポジションだと思っているので、チームに早く順応して色々なことの精度を高めていきたいです。同じポジションの選手とも切磋琢磨しながら、お互いに良い部分は取り入れたり、うまくコミュニケーションを取っていきたいと思います。
そして大阪がホームのチームですし、私も大阪出身の選手なので、活躍して地元の方に喜んでもらいたいという気持ちと、バレーボールをしている大阪の子供たちに夢を与えられるような、憧れられるような選手になっていきたいので。そのためにチームにしっかりと貢献できるように、自分自身がしっかりと成長をしていきたいと思っています。
- 本記事は2024年7月時点のインタビューに基づいたものです。