INTERVIEW
インタビュー
忍耐強さを培った小学校・中学校時代
バレーボールは、小学3年生の時に週1回のバレーボール教室に何回か行ったことがきっかけで始めたのですが、同じタイミングで兄の友人から誘われたことでクラブチームに入り本格的に始めました。もともと休み時間などは活発に体を動かす方だったので、バレーボールの最初の印象としては単純に楽しいという感情が大きかったですね。
当時所属していたクラブチームは週5回練習があり、厳しく指導していただくようなチームでした。特に高学年では本格的な練習も多かったのですが、辞めるという選択肢は自分の中にはなく、ひたすら頑張るというモチベーションで続けていました。学校に行ってそのまま練習をしてという毎日だったのでかなりハードでしたね。今となってはよくやっていたなと思います(笑)。
そんな生活だったので、家族にもだいぶフォローしてもらったのですが、当時のクラブチームが家族も指導するチームで。私だけではなく親も忍耐力がついたと思います(笑)。
中学校は強豪校に進むか、地元の学校に進むかとても迷いましたが、クラブチームの先輩が通っていたこともあり就実中学校に進学しました。ただ、家から距離がある学校で、最初の1週間は電車で通学してみたのですが、朝早く夜も遅くまで練習をしていたので、食事をすることもできないくらい時間が無くて。そこからは、片道40分~1時間かけて毎日家族に送り迎えをしてもらうことになり、車の中で食事をするような毎日でしたね。支えてくれた家族には本当に感謝しています。
部活自体は想像していた通り厳しい指導で、勝ちを目指していくチームでしたが、小学生時代の厳しい練習の基盤があったことや、小学生の時のクラブチームの同級生も同じ中学校に進学したので心強さもあり部活に励むことができました。中学の部活は全体を通して、バレーボールの基礎はもちろんですが、メンタルや体力の強化もしっかり培った印象です。
厳しさを乗り越えて勝ち取ったインターハイ優勝
高校はそのまま就実高等学校に進学しました。中学生の頃から、高校の練習を見ていたこともあり、厳しさも分かっていたのですが、他の学校に行く選択肢は自分の中ではなく、自然な流れで進学を決めました。私と同じように就実高校に進学した子もいれば別の学校に進んだ子もいたので、部員の半分は新しいメンバーに変わることになりましたが、新しいメンバーの中には県外から来た人もいたので、新しいチームで3年間頑張っていこうという気持ちで高校の部活をスタートしましたね。
練習内容は中学校とはまた違ったもので、今までは基礎が多かったのに対し、高校は技術面を磨く練習が多かったと思います。高校の練習がどんなものか分かっていたので、変化に対しての戸惑いはありませんでしたが、やはりランメニューはしんどかった印象です(笑)。
高校時代を通して特に印象に残っているのは、高校3年生のインターハイで優勝したことです。当時、チームとして日本一を目指せる位置には居たと思いますが、やはり試合を重ねていくうちに優勝への道筋が見えてきたことを覚えています。あとは、その時のチームは粘り強さが特に秀でていたので、今までの練習の成果が発揮でき、優勝に繋がったのかなと思います。
日本一になれたことで、安心といいますか、これまでバレーボールをやってきて目標が初めて叶ったという達成感でいっぱいでしたね。
“もう一度日本一を目指したい”という気持ちを胸に
高校卒業後の進路を考えた時に、大学のバレーボールがどういったものなのか分からなかったこともあり、最初はバレーボールを続ける気持ちはほとんどありませんでした。ただ、今後自分がやりたいことも見つかっていなかったので、大学に進学することは決めている状態でした。そんなタイミングで、筑波大学から声をかけていただいたことで、大学のバレーを知ることになったのですが、筑波大学がインカレを連覇していることを知り、もう一度日本一を目指したいと思い筑波大学に進学することを決めました。
大学の部活は自分たちでレベルを上げていくという意識が強く、与えられたメニューはありつつも、自分たちが主体的に練習するシーンが増えたと思います。ただ、1年生~2年生のタイミングでコロナ禍の影響を受けてしまい、大学の体育館が使用できず思うような練習はできませんでした。そんな中でもできることを見つけて練習に励んでいましたね。
4年生の時はキャプテンを任されていました。正直チームを引っ張っていくようなタイプではないのですが、コミュニケーションは得意だったので、後輩をご飯に誘ったりして会話をする場は常に作るようにしていましたね。あとは、同期にすごく恵まれていて、気持ちの共有がしっかりできていたこともキャプテンとしてやっていけた理由だと思います。
大学時代で印象に残っているのは、4年生の時に全日本大学選手権で優勝したことです。自分の代になる前はなかなか勝てず悔しい思いをしたのですが、最後の年に目標を達成できたことは非常に感慨深い思い出です。当時のチームは1年生から3年生まで素晴らしい選手がそろっていて、一人一人に力があったことや、気持ちの面でも“自分たちが一番強い”ということを示したい気持ちがチーム全体にあったことで勝ちに繋がったのかなと思います。
家族にバレーボールをしている姿を見せたい
大学卒業後の進路は、割と早い段階から考えていたのですが、毎年気持ちが変わっていましたね。初めの頃はバレーボールは大学で終わりという気持ちが強かったのですが、学年が上がって本格的に進路を考えなければならなかったときに、ずっと応援してくれてきた家族に、バレーボールをしている姿をもっと見せたいという気持ちが大きくなり、バレーボールを続けることを決めました。
そんな中で大阪マーヴェラスから声をかけていただき入部を決意しました。入部を決めた理由はたくさんあるのですが、一番の理由はチームの雰囲気に惹かれたことです。もともと高校卒業のタイミングで大阪マーヴェラスからは声をかけていただいていたのですが、さらに4年経っても誘っていただいていて本当にありがたい気持ちでしたね。
実際に入ってみて、年齢も経歴も異なる方がいる中で、最初は慣れない部分もありました。ただ、毎日練習後に円になって会話する時間があって。その日の練習のことだったり個人的なことだったりを、共有して言葉にする時間があるので、徐々に馴染めている感触はあります。発言するときはまだ少し緊張しますけどね(笑)。
まずはチームに貢献できるような選手を目指して
今回、宮部愛芽世選手と同じタイミングで入部することになりましたが、彼女のことは中学生の時から見ていたので、私にはない魅力を持っていることも知っています。学んできたことや持っているものも違うので、お互いが理解しあって、いつかチームを引っ張っていけるような存在になれるように、自分自身も頑張っていきたいなと思っています。
今後の目標として、個人的にはまずはミドルブロッカーとしての存在感を出していきたいという気持ちがあります。チームとしては、やはり日本一を目指していきたいです。日本一を目指す上で、自分がコートで活躍することは目標にはしていますが、まだ試合に出られない場面もあると思うので、コートの中では無かったとしても、チームに貢献できるような選手を目指していきたいと思っています。
- 本記事は2024年7月時点のインタビューに基づいたものです。