新たな環境でのチャレンジ チームに必要とされる存在になりたい

中学校から強豪就実学園へ

姉のバレーボールチームの練習や試合を観に行っていたので、楽しそうだな、自分もやってみたいなと興味を持ち、小学校3年生の時にバレーボールを始めました。
学校が終わった後にすぐ練習に行ってほぼ毎日練習という日々でしたが、スパイクを打つことが面白く、遊び感覚で楽しんでやっていた記憶です。

中学校からは姉も通っていた就実学園へ進学しました。姉の代は周りのメンバーもそろっていて、試合の後はよくメダルを持って帰ってきていました。メダルを触らせてもらったりして、憧れていましたね。なので、自分も今後バレーボールを続けていくなら家から近い地元の学校ではなく、より質の高い環境でやってみたいと思いました。

練習が厳しいことは聞いていたので覚悟はしていましたが、実際にめちゃめちゃ厳しかったです(笑)。小学生のころは朝練もなかったですし、環境も変わったので最初は大変でした。特に走り込みの練習も多くて結構つらかったですね。よく岡山後楽園で走っていました。家に帰ったら、ご飯を食べて寝るだけ。本当にバレーボール一色の生活でしたが、強豪校ということもあり、たくさんいい刺激をもらいました。

エースという責任感

高校生の時はチームのエースを任されていました。大事な場面で自分にボールがあがってくるのですが、そういった場面で決めきれず、大事な1点を落とし、自分のせいで負けてしまったこともありました。それからどうしたら決まるのかを考えて、監督や周りの人にも相談をし、365日と言っていいほど、練習が終わった後に毎日スパイクを打ち込んでいました。
ミドルブロッカーは速いテンポで打ち込むという印象もありますが、当時は高いトスを打つことも多かったので、今でも高いトスに対応できるのは高校時代の経験があるからだと思っています。

中学時代は、最高で全国大会3位、高校生になっても3位や準優勝が多く、なかなか優勝することができませんでした。中学校のころから金蘭会高校が本当に強くて、1度も勝つことができず、悔しい思いをしていました。
しかし3年生の春高バレーのベスト4がかかった試合で、初めて金蘭会に勝つことができました。ちなみに1つ下に金蘭会出身の林琴奈選手がいて、そのころからとても目立っていたので、めちゃめちゃ決めてくるな、しかもスパイクだけじゃなくてディフェンスもできる子だなとすごく印象に残っています(笑)。
これまで何度も悔しい思いをしていたので、チーム一人一人が最後の春高に対して後悔がないようにしようという思いが強かったと思います。そんな強い思いで戦っていたら、気づいたら決勝にいた、という感覚がありました。決勝の舞台に行くのも就実として何十年ぶりだったということもあり、応援も本当にすごくて、決勝って本当に特別な試合だったんだなと、改めて感じたことを覚えています。

姉とは違う道、東レアローズへ入部

姉が所属している大阪マーヴェラスに行きたいという気持ちもありましたが学生の時から、東レアローズのスタッフの方で私のことを知ってくれている方々がいて、最初に声をかけていただきました。大阪マーヴェラスか東レで迷っていて、その時の先生に「自分を必要としてくれている場所でやってみるのがいいんじゃないか」とアドバイスをいただいたり、実際に東レに見学しに行ったときに雰囲気もとても良かったですし、自分がバレーボールをするイメージができた感覚がありました。姉とバレーボールをしたいという気持ちもありましたが、最終的に東レを選ぶことに決めました。

実際に入ってみると、何もかもが違う環境で、慣れるのに頭がいっぱいいっぱいでしたね。最初の1~3年目くらいまでは自分が好きなようにプレーをさせてもらえていたかなと思っています。
入部当初はちょこちょこ怪我をしたり、コンディションが上がり切らず、途中出場が多かったのですが、自分の身体を知ることが大事だと思って、試合に出られていない時間は自分の身体と向き合いました。そこから2020-21シーズンあたりから徐々に出場機会をもらうことができ、そこではコンディションも調子もよかったと思います。そういったことが2021-22シーズンの初めてのベスト6につながったのかなと思っています。

初の日本代表メンバーに選出

日本代表に選ばれたとき、正直選ばれると思っていなかったのでびっくりしました。実は代表発表がある前に、自分の中で2023年の計画を立てたのですが、そのときに全日本に選ばれたいと初めて言葉にして書いていました。書いたことがすぐに実現してしまい本当に驚きました。もともとそこまで全日本に入りたいという強い思いはなく、代表よりはチームでしっかり活躍したいという思いの方が強かったです。しかし当時チームメイトだった黒後愛選手(現・埼玉上尾メディックス)が全日本でプレーをしている姿をみて、自分も同じコートに立ちたい、といい刺激を受けました。東レで一緒にやっている選手も全日本に選ばれている選手が多く、自分ももしかしたらこの場に立てるのかな、どういう気持ちなのかなと興味がわきました。

実際にネーションズリーグに出場しましたが、全日本での自分の実力は、まだまだだなと実感させられました。高さももちろんそうですし、被ブロックが増えたりいつも攻撃が通るものが通らない。ミドルブロッカーが活躍してこそアウトサイドの攻撃が生きると思っているので、どれだけ相手にとって脅威となるような印象付けができるか、打ち方やコースの工夫など、改めて考えさせられました。
ブロックのところでは、リードブロックというボールが上がってから、ブロックも動くのが基本だとは思うのですが、国際大会ですと日本人は身長が低い分、ちょっと跳んだだけでは相手にプレッシャーがかからないので、割り切ってやらなきゃいけない部分など、新たな発見にもつながりました。

環境を変えてチャレンジしたい

6シーズン東レに所属していて、その先も同じチームで挑戦できることもあるとは思いますが、他チームの練習や雰囲気、環境などさまざまな意味で刺激が欲しいと考えるようになりました。いつまでバレーボールを続けるかわからないし、新しいチャレンジをしてみたいと思い移籍を決断しました。退部の発表をしてみないと他に声をかけてくれるチームがあるかもわからないですし、V1ではなくカテゴリを落としてしまう可能性もあるとは思っていたので、覚悟を持った移籍でした。
実際はありがたいことに他のチームからもいくつか声をかけていただきましたが、自分がしっくりきたのは大阪マーヴェラスでした。

姉が所属していたこともあり、意識して見ていたチームでもあります。チーム力が本当にすごいなと東レ時代から思っていました。
移籍の際だけでなく、これまでいろいろな場面で姉に相談をしてアドバイスをもらい、救われたこともたくさんありました。私は優柔不断な性格なのですが、姉はどちらかというとはっきりしているタイプで、ダメなものはダメ、良いものは良いと、良い部分だけでなくちゃんとダメな部分も指摘してくれる、そんなところを尊敬しています。

そんな姉がいたチームということもあり、厳しいことは聞いていましたが、それでも優勝したい、レベルアップしたいという気持ちが強く大阪マーヴェラスを選びました。

チームメイトに関してはもともと顔見知りの選手もいましたし、去年の代表合宿で何人か話している選手も多く、そういったところは全く不安なくチームに合流しました。練習に関しては、システムが今までと異なるので、ついていけるかなと不安な気持ちもあり少しそわそわしていたと思います(笑)。

チームにとって必要とされる存在に

今自分がこのチームで求められているのは攻撃ももちろんですがブロックだと思っています。ブロックは自分でも課題で、今までやったことのないステップに取り組んでいて少しずつできるようになってきました。

今シーズンの一番の目標はケガをしないこと。また覚悟をもって移籍をしてきたので去年よりも成長した自分になることをテーマとして思っています。
セッターやチームとの連携の部分など、少しずつお互いわかってきたことも多いのですが、もっともっとチームの信頼を得て、自分の強みでもある攻撃も生かしつつミドルブロッカーとして必要とされる存在になっていきたいです。

  • 本記事は2023年11月時点のインタビューに基づいたものです。