技術や考える力を磨いて 高いレベルで戦いきれる選手になる

心の成長につながった中学生時代

バレーボールは母の影響で、小学校4年生から始めました。最初は腕も痛いし、運動するのも疲れるし、大変だったんですけど、できるようになることが増えるにつれて楽しくなってきました。はじめは、レフトでスパイクを打って、真ん中でブロックをするようなポジションからのスタートでした。

中学校はバレーボールの強豪校に進学することを決め、自宅から1時間半ほどの八王子実践中学校を選びました。小学校のチームの1つ上の方が八王子実践中学校に通っていたことで、先生が小学生チームを見にきてくださることがあり、声をかけてもらいました。

練習は厳しかったですが、若い先生だったこともあり、部活の時は監督だけど、それ以外のときはお兄ちゃんみたいな存在で、一緒にバレーボールを楽しんでくれました。チームの雰囲気も、やる時はしっかりやる、試合は楽しくというスタンスで魅力的なチームだったと思います。

入学・入部した当初は、怖い厳しいというイメージでしたが、中学3年生になる頃には、それに打ち勝つではないですけど、監督を怖がらずにチームメイトと共に“自分たちでやろう! 頑張ろう!”と鼓舞しながら練習していましたね。バレーの技術はもちろんですが、心の部分でも成長できた期間だったと思います。

考えるバレーへと変化した高校時代

高校はそのままエスカレーターで八王子実践高校に進学しました。
同期は元々知り合いだった2名が別の中学校から入部し、その他は中学校と変わらなかったので気の知れた仲間とのスタートとなりました。

高校の監督も中学校の監督と同様に、試合は楽しむというスタンスだったんですが、中学校と決定的に違ったことは、与えられたものだけをこなすだけではなく、“自分たちで考えるバレー”に変化したことです。試合で勝てなかった際、何が足りなかったのかを自分たちと先生でお互いの意見を話し合ったときに、やはり先生の方が一枚上手で、自分たちのやりたいことも理解してくれながらも別の角度で指摘をしてくれたことで、より考える力が高まったと感じました。

思考の面での学びもありながら、時にはちょっとしたゲームのようなメニューもあったりしたので、楽しみながらバレーボールができていたと思います。

キャプテンとしての覚悟

高校1年生の時の春の高校バレーで、予選までは3年生のミドルブロッカーの先輩が出場していたのですが、本戦の2週間前に私が試合に出ることが決まりました。正直、3年生は最後の試合ということもあり、なんで自分なんだろうという驚きや不安でいっぱいでしたね。当日の試合は緊張しすぎて内容をはっきり覚えていないです(笑)。当時はコロナ禍だったので、声出しや応援もできず、3年生に声をかけていただきながらなんとか乗り切りました。

高校3年生の時はキャプテンを務めさせていただいていました。私の高校は、キャプテンはメンバー間で決めるスタイルでした。なので、高校2年生の時から、なんとなく自分がなるかもしれないなと思っていて、メンバーにも「ナルがキャプテンになるんじゃない?」と言われていたので、覚悟はしていました。ただ、いざ本当に決まると、本当に私でいいの?と思いましたし、歴史あるチームでキャプテンを務めることにプレッシャーを感じましたが、チームのために自分が頑張ろうという覚悟を決め、キャプテンを引き受けました。

自分たちのバレーを貫き通したインハイ・春高

高校3年生のインターハイで今も心に残っている試合は、決勝トーナメント3回戦の就実高等学校、4回戦の東九州龍谷高等学校の対戦です。
今まで、自分たちは強いんだという自信を持ってやってきたものの、いざ強豪校を目の前にすると、“これはやばい”と怯んでしまいました。そんな中でもチームのメンバーと「自分たちはできるんだ!」と口にしてお互い鼓舞しながら戦い抜きました。結果、どちらの試合も1セット目を取られてからの逆転勝ちでした。就実高校との対戦では、3セット目19-24からの逆転勝ちだったので、コートの中で鳥肌が立ちましたね。
常に自分たちの合言葉として「できる! できる!」と口にし、みんなの気持ちを1つにして、勢いで勝ち取った勝利だったので、今映像を見ても、その時の感動が蘇ってきます。

春の高校バレーは、そもそも予選が厳しいので、気を引き締めていこうと臨み、無事予選は1位で通過。しかし、本戦前にメンバーの怪我が続いてしまって、戸惑う場面もありましたが、“最後だしみんなで思いっきり楽しもう!”という気持ちで戦いました。思うような結果にはならなかったけど、自分たちのバレーを貫き通しやりきることができたかなと思います。

部活動以外の経験ですと、中学・高校で、アジアユースの練習や合宿にも参加させてもらって、いろいろな選手のいろいろな考え方を知って、自分のチームに還元できたり、普段とは違ったメニューをこなしたりすることで、学びになることが多くいい経験になりました。

成長したい一心で決めた大阪マーヴェラスへの入部

高校を卒業してからの進路は、大阪マーヴェラスを含め複数のチームに声をかけていただいていたのですが、大学進学も視野に入れていたので最後の最後まで迷っていました。
最初は大学進学への気持ちが強かったんですが、当時、現事務局副部長の筧本さんや吉原監督が何回か話をしに来てくれて。バレーボールを続けるなら強い場所でやりたい気持ちはありましたが、自分がVリーグで通用するのかという不安もあり、吉原監督と話をしていく中で、人間的にも成長できるという確信や、チームがバレーボールに対して真剣に取り組んでいる姿勢が見えて、吉原監督の下で成長しようという思いで、大阪マーヴェラスへの入部を決めました。

一番歳が下の立場ということもあり、話しにくいのかなと思っていましたが、実際に入部してみると、変な上下関係もなく良い関係が築けていて、スタッフ含めチームとして仲が良いというか、すっきりした仲間関係だなと感じています。
大阪マーヴェラスは、メニューの中でいかに質を良くするか、トップリーグでプレーする選手として深くまで考えるので、システムのことなど難しいことも多いですが、なんとかついていっているという感じですね。

今までの強みを強化していきたい

自分の強みは、ブロックの軸として、しつこく諦めないことだったり、高さやスピードを磨きながら、状況判断したり、仲間と声をかけあって守っていくということだと思っているので、さらに強化していくことがこれからの課題です。

高いレベルで5セット戦いきれる身体や、スピード、パワー、高さなど、今まで高校で通用してきたものが通用しなくなった分、もっと磨いていかなければならないと思っています。また、技術はもちろんですが、バレーをする頭、考える力も高いレベルについていけるように頑張りたいです。

  • 本記事は2023年11月時点のインタビューに基づいたものです。