バレーボール漬けの日々
バレーボールとの出会いは、小さい頃に母と祖母が通っていたママさんバレーに一緒に行ったことが始まりです。小学校に入った時に、世界で活躍された先生が運営する地域のバレーボール教室に入って本格的にバレーボールを始めました。その教室はこどもから大人までさまざまな方が集まる場所で、バレーの基礎や楽しさを学びました。小学3年生からはスポーツ少年団との掛け持ちを始めました。スポ少はバレーボール教室とは雰囲気が異なり、“勝負事”としてのバレーボールを学びました。
最初は、他にスパイクを打てる人がいなかったということもあり、スパイカーからのスタートでしたが、バレーボール教室の先生から「セッターをしてみたらどうか」と言われて、市の選抜試合にセッターで出場し、そこから今までセッターを続けています。今思えばその先生は私のキーパーソンですね。普段からすごく気にかけてくれて、私の得意とするスピードなどの特性を見抜いてくださって、本当に感謝しています。
教室とスポ少を掛け持ちしていたこともあり、小学校時代は本当にバレー漬けでした(笑)。学校終わりにスポ少に行って、そのあとに教室に行く日もありました。そういった日は、夕飯を食べる時間が無いので、移動の車の中で済ませていましたね。母や祖母が気を使って、お盆を持ってきてくれて、少しでも食事をしやすくしてくれていました(笑)。
当時は別の習い事もしていたので、すごく忙しかったですが、基本的に運動するのが好きで、ボールに触れることが嬉しかったし、バレーボールのことを知れる日々がとても楽しかった印象です。
忍耐と厳しさを教わった中学生時代
中学校は、特待生として中高一貫校に入学しました。自宅から朝6時半のバスに乗って1時間半くらいかけて通っていました。中学校の校風として勉強に特化していたので、毎日の部活動の時間は1時間ほど。平日は17時から18時まで部活動をして、そこからバスに乗って帰宅して勉強、週末はがっつり1日練習をして、という日々でしたね。
小学生時代と比べるとバレーボールをする時間は減りましたが、かなり厳しい環境で緊張感が常にあったので、1時間の練習が長く感じるときもありました(笑)。中学校時代の部活動は、辛いことや大変なこともありましたが、忍耐やバレーボールの厳しさを学びましたね。
憧れの舞台を目指して
高校は中高一貫の学校だったので、そのまま同じ学校に通いました。入学のタイミングで、当時の高校の監督さんが退職されて、中学校の先生が持ち上がりで担当になったので、結果的に6年間同じ先生のもとでバレーボールをしました。なので、雰囲気としてはそこまで変わらなかったのですが、高校から一緒になったメンバーも増えて、新しい風というか、全体的に明るくなりましたね。
チームとしても常に上を目指していく気持ちで取り組んでいたので、思い出すのは厳しい思い出ばかりです(笑)。プレー面はもちろんですが、心の部分を大事にしてるチームで、日々「気配り目配り心配り」という言葉をよく言われていました。バレーボールをする上で、自分が勝ったということは負けた人がいることなどを意識し、常に人の気持ちになって、自分だけではない・謙虚でいることなど、中身の面で学んだことがたくさんありました。当時は「厳しいな」と思うことも多々ありましたが、その時の学びは今にも繋がっていて、自分にとってとても大事な経験だったと思います。
高校2年生の春高バレーは、とにかく緊張した思い出です。ずっと目標にしていた東京体育館という大きな舞台で、試合ができたことはとても印象深いです。最初はサブコートからのスタートでしたが、メインコートに立ちたいという思いで1回戦に臨みましたね。結果、目標としていた舞台に立てたことはとても嬉しかった思い出です。
高校3年生の春高バレーの県予選は決勝戦まで勝ち進み、最後まで粘りましたが、最終的には残念な結果となりました。準決勝戦から決勝戦まで1週間の期間があいていたのですが、その間はチームのメンバーも先生も、全体的に緊張感が張り詰めていたことを覚えています。
高校の部活動は、最初から最後まで緊張感のある厳しい環境でしたが、今自分が得意とするバレーを身につけられたのはこの時だと思っているので、とても貴重で大切な思い出です。
考えるバレーボールへと変化した大学時代
大学は鹿児島県の鹿屋体育大学に声をかけてもらい進学しました。大学でバレーを続けていくか迷っていた時期だったのですが、声をかけてもらったことで「まだ頑張れる場所があるんだ、チャンスをくれているんだ」と感じ進学を決意しました。将来のことも考えたときに、体育が好きということもあったので、国立の体育大学は私に合っていると感じました。あとは、当時のコーチも鹿屋体育大学出身だったので、お話を聞いて、最終的に入学を決めました。
大学のバレーボールは、これまでの考え方とはガラッと印象が変わり、一段とバレーボールが面白いと感じるようになりました。もちろん厳しさもありましたが、本来のバレーボールの楽しさを教えてもらいました。プレー映像を見て研究したり動作分析をしたりと、今までとは違ったバレーボールへの向き合い方ができましたね。基本的にメニューも自分たちで考えていたので、これまでと比べて考える量は非常に増えました。最後の大会で自分たちがどうなりたいのかをイメージして、年間計画を立てて取り組めたことは良い経験になりました。
大学の部活動は20名ほどいて、日本一を目指すメンバーが集まっていましたが、主務や学連と関われる機会もあるので、中にはアナリスト志望の人もいたりと、さまざまな立場のメンバーが揃っていて、良い刺激となりました。
大学時代の監督は、いわゆる「教育者」でした。その人に合った必要な言葉を、必要なタイミングでかけてくれ、自らを成長させてくれる方でした。足りない部分をベストなタイミングで伝えてくれたり、考えるきっかけを作ってくれたり、モチベーションを高めてくれました。監督に出会ってから、いろいろなことをポジティブに考えられるようになりましたね。「そういう考え方があるんだ!」と、視野も広くなりましたし、マインドの面で非常に成長させてくれたと思います。バレーボールへの向き合い方が変わると、自ずと技術面も向上していきました。何かあったときに、パッと考えが浮かぶといいますか、アイデアが出てきて、プレーの部分にも生かされていましたね。
努力が実りに繋がった全日本インカレの優勝
鹿児島国体で良い結果を残すために、OGの方に来ていただいたり、合宿を行ったりと強化を重ねました。その練習の成果もあり、全日本インカレの準備もできていったと思います。全日本インカレは主に関東の大学がシードを取っているので、トーナメント表を見て対戦相手を研究したり、強い選手にどうやったら勝てるのかを自分たちで考えたりして臨みましたね。結果的に念願の優勝を果たし、ありがたいことにセッター賞もいただくこともできました。1年間で成長したという実感があった中で、優勝そしてセッター賞を取れたことは自信になりました。
大学時代はちょうどコロナ禍だったこともあり、練習自体ができなかったり、人数制限や時間制限もあったりと、全体練習はほとんどできない時期もありました。そんな中、チームワークを保つために、1日1回はオンラインで繋げて、メンバーの顔を見て、みんなでトレーニングをしたり、朝にオンラインでヨガをしたり、常に繋がっている状態を意識して作っていました。
幼少時の憧れが形に
小学校5、6年生の時に大阪マーヴェラスの試合を見る機会があって、当時所属していた竹下佳江さんのバレーボールを見て、漠然と「ここでやりたいなぁ」と思ったんです。チームの雰囲気もそうですし、なんだか当時の自分の中で落ちるものがありました。
それから時間が経って、大学卒業時にバレーボールを続けるかどうか悩んでいたのですが、大阪マーヴェラスから声をかけてもらって、ほとんど即決で入部を決めました。
私が内定をいただいた時は、Vリーグ3連覇がかかっていたタイミングだったということもあり、練習を見た瞬間ぞわっとしたことを覚えています。一本に対する姿勢や、チームの雰囲気、こだわるポイントなどを見て「これがプロの世界なんだ」と感じましたね。それと同時に、自分がこの環境でどれくらいやれるのかという期待もありました。
今年で入部2年目に入りました。1年目はベテランの方が試合に出る機会が多かったのですが、今年はガラッとメンバーが変わって、勢いがあるチームに変わった印象です。ただ、1本に対して追及するという面では、まだ足りていないところもあると思います。大阪マーヴェラスは個々の意見を出し合う機会も多く作っているので、一人一人の考えを聞いて、理想の形を作っていきたいですね。
これまでのバレーボール人生を通して、さまざまな経験が今に繋がっていると感じますが、特に大学の経験は今に生かされていると感じます。コーチに提供されたものだけをただやるのではなく、それを超えてくる選手はたくさんいます。それをカバーするために、自分の意思や考えを持っておかないといけないですし、たくさんのことを吸収できるような幅広さ・視野を兼ね備えていかなければいけないという点では、大学時代に培った“考えるバレーボール”の力が役に立ってると感じます。
強みを伸ばして、目標の選手像を目指す
セッターとしてスピードが自分の持ち味だと思っているので、2本目を繋ぐ役割として、1本目に対してどれだけ早くボールの下に入ってスパイカーにいい状態でトスを提供できるか、乱れたボールも必ず繋ぐというハードワークの姿勢も重視していきたいです。
そしてこれまで以上に、プレーの精度を磨いていきたいと思っています。このレベルでやっていると、自分自身、チーム、そして相手のデータを擦り合わせながらゲーム展開を運ぶ必要があり、どういう攻撃・戦略でいくかを瞬時に考える判断力も必要になってくるので、これまで培った考える力をさらに強化していきたいです。
そして「小さくてもやれる!」ということを私に見せてくれた、竹下佳江さんのように、子どもたちや、見てくれている人たちに、どんな場所でも戦えるという姿勢を見せられるような選手になりたいと思いますし、セッターとしてどんなボールも繋ぐという気持ち、勝ちに対する姿勢を見てもらって、バレーボールを通して感動してもらえるようなそんな存在になりたいと思います。
- 本記事は2023年10月時点のインタビューに基づいたものです。