コートの中からチームを鼓舞できる選手になりたい

野球部からバレーボール部へ

バレーボールを始めたのは高校1年生の途中からと遅めで、それまでは幼稚園から小学校までに水泳、中学校では野球部といろいろなスポーツをやっていました。
高校入学当初から身長が191センチあり、入学式の日にバレーボール部の監督からお誘いをいただいたのですが、その時は中学校から続けていた野球を続けようと考えていたのでお断りしました。その後、野球部に入部したものの練習が想像以上にハードで、1年生の夏頃からバレーボールもやってみたいという気持ちが徐々に芽生え始めてきました。
それからはどうしてもバレーボール部に入ってみたくなり、野球部の監督と話し合いを重ねて「やるからには中途半端じゃなく、ちゃんとやれよ!」と背中を押していただき、バレーボール部への入部が決まりました。
そして、夏の甲子園予選の試合翌日の練習中に野球部の監督から呼び出され、バレーボール部に移ることへの最終的な意思確認をされたので気持ちに変わりがないことをお伝えしました。最終確認後は野球部のユニフォームを着たまま、バレーボール部の練習に向かいましたね(笑)。

部員は1学年それぞれ5人程度で合計15人前後の少ないチームでしたが、ほとんどが経験者でしたね。
入部してすぐはパスをまっすぐ飛ばすことができなかったので、コーチとひたすらパスの練習をしていました。他の部員にとっては当たり前の練習だと思いますが、パス一つにしても自分にとっては新鮮で新しいことに常にチャレンジしている感覚で練習が楽しくて充実していたので、時間が経つのがあっという間でしたね。野球部の練習だったら、多分5倍くらいの時間に感じていたと思います(笑)。
入部から2カ月ほど経ったころに、スパイクで体育館のギャラリーにボールを乗せることができて、自身の上達を実感して嬉しかったのは今でもよく覚えています。

最初はミドルブロッカーで真ん中に立ちながら感覚だけでプレーをしていましたが、2年生の途中でスパイクが打てるようになってからはオポジットを任されました。オポジットになってからは、パスが入らなかった時には二段トスでボールが上がってくることも多くありました。

自身として初めての県大会ではベスト8でしたが、その後はベスト4に入るくらいのチームに成長しました。チームの成長が早かったのは監督がバレーボールに熱い方で、教え方も分かりやすく、部員みんなから愛されている環境があったからだと思います。プライベートと練習でメリハリがあり、練習では厳しくても、終わればみんなを気遣うさりげない声掛けもしてくださる方でした。

高校のバレーボール部で一番印象に残っている試合は、最後の春高予選です。
春高予選の前、国体に出場した際に腰を骨折してしまい、春高までに完治は難しいという診断をされてしまったのですが、どうしてもみんなの期待に応えたくて少し無理を言って出場させてもらいました。
結果的には予選で負けてしまったものの、練習がほとんどできていなかった中で毎回苦戦を強いられる高校相手に1セット12点取ることができ、最後に良い戦いができたことはすごく印象に残っています。

諦めかけていた中央大学への進学

当時、中央大学(東京都八王子市)では、石川祐希選手やJTサンダーズ広島の先輩である武智洸史選手が活躍していたので、すごい先輩たちがいる大学だと憧れを抱いていました。そんなことを考えていた高校2年生の時、選抜ドリームマッチ(全日本ジュニアオールスタードリームマッチ)に中央大学の監督が来ていて、そこでバレーボール部へお誘いをいただきました。しかし、すぐに選手枠3人分すべて埋まってしまい、中央大学への進学を諦めて第二候補としていた日本体育大学(東京都世田谷区)に行くつもりでいました。
それから半年経った高校3年生の始めに、再び中央大学から枠が一つ空いたからぜひ来てほしいとお誘いを受け、奇跡的に中央大学に進学することが決まりました。

大学に入ってすぐは練習についていくのが精一杯でしたし、1年生の時は公式戦でもクイックモッパーばかりやっていました(笑)。
上下関係がはっきりとしていてルールも多かったので、大学生活で部活がきついと感じたのはだいたいが1年生の時でした。練習の時に1年生が任される仕事があって、その仕事は上級生の練習メニューにあわせて効率よく1年生が動くというものでしたが、絶対にミスをしないようにと夜中の1~2時まで「明日はこういう練習が予想されるから、1年生はこういう動きをするぞ」とミーティングをよくしていましたね。
武智さんは当時4年生でしたが、非常に怖かったです(笑)。
武智さんにはご飯に連れて行ってもらう機会もありましたが、主将という立場でもあったので余計に怖く感じました。しかしJTサンダーズ広島入部後に再会した時は、当時のイメージとは違って、すごく優しい先輩でした(笑)。

今まで得意としていたスパイクやブロックも大学に入ると学ぶことだらけで、高いレベルの中で練習している実感がありました。2年生になってからはミドルブロッカーとして試合に途中出場できるようになったこともあり、自分自身の成長も徐々に感じられるようになりました。

個人賞受賞で成長を実感

第6回アジアカップの選手に選ばれた時は、普段の練習の中で成長が少し止まりかけていて伸び悩んでいるタイミングだったので、いつもとは違う環境で大学日本代表として海外の選手とレベルの高い試合ができることが嬉しかったです。
この時は1試合だけスターティングメンバーで出場しましたが、海外の選手は身体能力も技術面も今まで経験したことがないレベルでした。また攻守でも圧倒され、特にブロックの高さやスパイクのスピードは印象に残っています。
2年生での出場だったので実力はまだまだでしたが、レベルアップにつながる良い経験になりました。あと新井雄大もアジアカップメンバーだったので、これをきっかけに大学の大会で会うたびに挨拶する関係になりましたね。

あとは3年生の時に出場した第38回東日本バレーボール大学選手権大会で、ブロック賞を受賞できたことはすごく嬉しかったです。
大学のバレーボール生活を過ごす中で、2つ目標を掲げていて1つ目は常にスターティングメンバーで出場すること、2つ目は個人賞を取ることでした。2つ目は自分の成長を実感するための目標として掲げていたので、ブロック賞を受賞した時に大学でのバレーボール生活が実を結んで形になり、ちゃんと成長することができたんだなと感じました。

コロナ禍唯一の公式戦

充実したバレーボール生活を送っていましたが4年生の4月に新型コロナウイルスの拡大で緊急事態宣言が発令されて、急にバレーボールができなくなってからは地元の福岡に帰省し、4月~6月までは自主トレーニングする毎日でした。また感染症対策をしながら高校の練習に週1回ほど顔を出したりもしましたが、東京に戻ってきて大学での練習が始まった時はすぐにコロナ前のコンディションに戻すことができませんでした。
感覚を取り戻そうと基礎練習から始めましたが、今度は別の部で感染者が出てしまい試合出場ができなくなりました。そうした状況が何度も続き、練習も満足にできなくなったときにはモチベーションが下がることもありました。

コロナ禍で唯一の公式戦は、12月に行われた令和2年度 天皇杯・皇后杯 全日本バレーボール選手権大会でした。
練習が満足にできない中での試合出場でしたが、対パナソニックパンサーズ戦でブロックを5~6本決め、スパイクも満足するくらい決めることができて、4年間で一番調子が良い試合だったので一番印象に残っています。
本来であれば、この後に最後の全日本インカレと続く予定でしたが、チームからクラスターが出てしまい、出場できず苦い思いをしました。

挫折を乗り越えて

JTサンダーズ広島に入部したきっかけは、大学3年生の夏の合宿で先輩の武智さんからJTサンダーズ広島を勧められ、その後の秋季リーグ中にJTサンダーズ広島から声を掛けていただいたことでした。

入る前はみんなピリピリしているように感じましたが、いざ入ってみたらみんなとても優しかったですね。
特に小野寺太志選手や金子聖輝選手には優しくしてもらっています。
金子選手はU-23の選考合宿の時に一緒で、同じ福岡県出身だったこともあり、仲良くしていただいてご飯にも連れて行ってもらいます。

大学でずっと練習に打ち込んでいたので結構成長できたと思っていましたが、入部後いざ練習が始まると皆さんとのレベルの差を感じて、まだまだ練習が足りていないことに気付かされました。
ミドルブロッカーということもあって、これまでレシーブはネットインのサーブを取る時くらいでしかしていませんでしたが、Vリーグでサーブが得意な選手は速いサーブを打ってからの緩急で前方を狙ってきたりするので、ミドルブロッカーであってもレシーブで取らないといけない場面があり、レベルを上げる必要を強く感じましたね。最初のうちはボールがネットを超えてしまったり、自分自身の技術力のなさからのミスをしたりして、先輩から指摘され挫折を感じることもありましたが、今では挫折を乗り越え、気持ちの面で負けないように意識して堂々と自分らしいプレーができるようになってきました。

自身の強みですが、スパイク決定力の高さには自信があります。また、ブロックの動きはまだまだ速くない方かもしれませんが、相手のスパイクに対するブロックの堅さは持っていると思います。
同じポジションの小野寺選手からはブロックの形の作り方や考え方についてアドバイスをいただくことがあります。特に状況に応じたブロックの考え方が自分に足りていないので、見習う点がとても多いです。

同期には西村信、新井雄大、坂下純也の3人がいて、それぞれ個性が違っていて同じようなタイプがいないので、やりやすさはあります。自分以外の3人は内定選手の時に試合に出場した経験があるので、ライバルという意識よりも同期についていかなきゃという意識はありますね。
今の目標としては試合に出られる選手になって、持ち味であるムードメーカーの部分を活かして、コートの中からチーム全体を鼓舞できる選手になることです。
ムードメーカー的な部分は内定選手の時に出せましたが、プレーをお見せすることができませんでした。今シーズンはプレー面でも活躍できるように頑張りますので、応援のほど、ぜひよろしくお願いします。

  • 本記事は、2021年9月時点のインタビューに基づいたものです。